北見の情報誌グラコム [日記雑感 12年]
出ました 持病が [仁頃山]
今日と明日はゴールデンウィーク以来久しぶりの連休です。
夕べからあっちの山こっちの山と楽しみにしていたのですが
こんな大事な時に持病が出てしまいました。
その病名は「休日の超早起き病」 なんでこんな大事なときに
朝、目が覚めてからしばらくして時計を見るとまだ2時半
ということは2時前から目が覚めていたのです。
ラジオを聞きながら、なんとか二度寝をしようとしたのですがやっぱりダメ。
睡眠時間3時間くらいでは、遠くの山に行くのは無理と諦めました。
あまり楽しい予定がない休日は
5時か6時まで眠れるのにまったく嫌な持病です。
でも、「プー太の父さん気の毒に~」なんて同情は無用。
こんなとき我が家からクルマで僅か15分か20分走ると・・・
そうです「北見のマッターホルン??」仁頃山が待っているのです。
このブログのタイトルにもしてしまった大好きな仁頃山(にころ山)
今日の登山開始時の仁頃山
そして登山を終えて帰るときの仁頃山
こんなことはよくあるので、雲海と晴天の両方が楽しめます。
今年5回目の仁頃山登山で、やっと遠くの山が見える天気に恵まれました。
中央が斜里岳 右は藻琴山 そしてまだ雲海が残っています
中央が雄阿寒岳 右が雌阿寒岳 下に富里湖も見えます
今日持病が出なければ右側の雌阿寒岳からこっちを見てたはずです。
今日は近くの本沢牧場に寄ってみました
登山始めてちょうど10年 [雌阿寒岳]
今朝も目が覚めたのは夜中の1時半。
「もう好きなようにしてくれ~」
ヤケクソになったのが良かったのか
そのあと二度寝をして目が覚めたら3時半です。
これだけ眠ればなんとか今日は遠くに行けそう
ああ良かったと安心して布団の中でいろいろ考えました。
そういえば登山を始めてから今月で
ちょうど10年、そして初めての登山が「雌阿寒岳」でした。
決定今日は
「私が登山スタートした山・雌阿寒岳へ10周年記念登山」
ということで雌阿寒岳(めあかんだけ)登山に行きました。
雌阿寒岳なんて聞いたことがないという方も、阿寒湖は知ってますね
その阿寒湖のすぐ近くには「雄阿寒岳、雌阿寒岳、阿寒富士」と 三つの山があり、雌阿寒岳と阿寒富士は仲良くピッタリ寄り添っています。
左の山が雌阿寒岳 右の山が阿寒富士 そしてこのエメラルドグリーンの湖はオンネトーと言います。
雌阿寒岳に行ったことがない人も
雌阿寒岳登山の
雰囲気を少し味わってみて下さい。
あちこちに サクラソウが咲いています
まだあちこちに雪が残って
いました。
つい最近まで見あきるほど
見た雪なのですが
こういうところで
見る残雪もいいものです。
この大きな山が雌阿寒岳に寄り添う阿寒富士です
そしてエメラルドグリーンのオンネトーも見えます
雌阿寒岳は活火山なのでいつも白い噴煙を吹き上げています
ここにも青い湖? これは青沼と言います
だんだん頂上が近づいてきましたが
ちょっとひと休みして、甘いものを補給(今日のおやつはこんにゃく羊かん)
桜の香りがすごく良くて美味しかったです
中央の山が雄阿寒岳そして阿寒湖も見えます
手前の噴火口の跡はダイナミックでしょう。
活火山なので防災サイレンが鳴ったら
すぐに避難することになってるのですが、どこに逃げればいいのか・・・
やっと頂上に着きました
少しは雌阿寒岳登山の雰囲気を味わえましたか
それでは私は登山歴10年を振りかえりながら、コンビニ弁当の昼食にします。
(雌阿寒岳は今日が9回目、コースはキャンプ場コースでした)
みなさんお疲れ様でした
走れ東海道・静岡編 [黒い玉手箱]
昔話 自転車旅行 第1話 1968年(昭和43年9月)
前回
国鉄の列車で愛知県から旭川まで
往復した話をしましたが、今回はその1カ月後
愛知県から箱根峠を通って伊豆まで自転車で
走ったことを思い出しながらチラッと書いてみます。
その時の思い出になった古い写真が2枚入っていました。
このサイクリングは
夏休みを利用して行ったのかと思っていましたが
写真の裏を見ると、昭和43年9月と書いてありましたので
9月にまとまった連休があったと思われます。
連休に入る直前に、友人が退屈なので自転車で
どこかへ行こうと誘いがあったので即決まったこと。
まったく無計画、走れるところまで
走ろうというサイクリングだったのです。
それでは昔話を始めます
1968年(昭和43年9月) 私が18歳か19歳のとき
出発して間もなく、反対側から走ってくる
自転車に乗ってる人がこちらに手を振るので私と友人が
誰なんだろうと、きょとんとして顔を見合わせました。
次に出会った自転車の人もこちらに向かって手を振ります。
ここでようやく二人とも
ああサイクリング同志の挨拶なんだと気がついたのです。
そんなマナーも知らないで、最初の人には失礼してしまいました
浜名湖も過ぎたあたりから
私は疲れてきて少しずつ友人が先に先にと走るようになります。
友人は高校時代からマラソンの選手だったようで
その後も毎日のように走りこんでいましたが、私は短距離は得意なのに
マラソンは苦手でいつもビリのほう、こういうときにその差が出てきます。
やがて浜松あたりから足もつって大変でしたが
とにかく泣き言を言ってられないので、遅れながらも走りました。
自転車というとのんびり走るイメージですが
休憩もろくにとらないでとにかくビュンビュン走るだけです。
自転車にスピードメーターが付いていたのですが
下り坂になるとすごいスピードが出て、時速60キロくらいになると
怖くなるので、ブレーキをかけながら走ったのを思い出します。
何も考えてるヒマのないハードなサイクリングでしたが
そのときに通過した掛川市、島田市、藤枝市など一番辛かった
コースにあった地名は今も忘れたことがありません。
あちこちにお茶の畑があったので、お茶の香りがした覚えがあります。
それがお茶畑なのか
お茶の工場だったのかも覚えてませんが
とにかく気持ちがほっと一息できるような香りでした。
そんなひどいサイクリングも、夕方になって
ようやく一泊目のテントを張って無事に終わります。
そのときのキャンプ地は静岡県清水市の三保の松原でした。
1968(昭和43)年9月・三保の松原で
地図ソフトで距離を調べてみると
この一日で180キロ以上走ってるので
北海道でいうと、北見から旭川を超えて
深川あたりまで走った距離になります。
(参考ですが、毎年行われるオホーツクサイクリングは
雄武町から斜里町まで1泊2日で212キロを走行します。)
名古屋の近く岡崎市から国道1号線に入り
静岡市を過ぎてから、清水市で国道1号線を出て
一泊目の三保の松原に向かったようです。
おまけに炎天下の強行サイクリングで疲れきってしまって
ふらふらしながらテントを張った記憶があるのですが
あの有名な三保の松原や富士山を見た記憶もなにも残っていません。
そんな風景なんか楽しむ余裕のない一日目でした。
2日目
一晩寝ると体力も足も回復、清水市内に戻ってまた国道1号線に入り
駿河湾を富士市、沼津市と走り、そしていよいよ三島市に到着。
三島市に着いてまもなく緩く長い坂道を見たときに
今までになかった緊張感を感じたので忘れられないところです。
いよいよ箱根や熱海が近くなった嬉しさ
そして1号線最大の難所、箱根峠が待っています。
箱根峠は私のブログタイトルの
仁頃山(829m)より少し高い標高846mもあるのです。
サイクリング旅行の1回目終わり
今日はボクの誕生日 [日記雑感 12年]
走れ東海道・箱根編 [黒い玉手箱]
昔話 自転車旅行 第2話 1968年(昭和43年)9月
( 注:今日の画像は全部ネットから借用したものです )
第1話は静岡県三島市に着いたところで話が終わりましたが
今日はその続きを、思い出すところだけ書いてみようと思います。
いろいろなことを思いだして考えてみたら
仕事が5連休だったので、4泊5日の日程内で伊豆大島を目指して
行ける所まで行こうという考えだったのでないかと思います。
1日目は静岡県内を頑張って走ったので、2日目は伊豆半島の付け根にある
沼津市や三島市を過ぎて、いよいよ箱根峠がすぐそこまでというところです。
2日目の走行ルート
三保の松原⇒三島市⇒箱根峠⇒熱海市⇒伊豆大島
1日目は170キロ以上走り、2日目は三保の松原から三島市までまだ
60キロ弱しか走ってないのでこの日はまだまだ体は元気いっぱい。
友人と二人で箱根峠を目指して走り出しましたが
やはり箱根峠に向かう道は上り坂の連続で途中から
自転車に乗っての走行は無理になったので押して歩きました。
箱根峠を越えるということは予想通り
大変なことだと思いながら自転車を押して歩いてるそのときに
なんと追い抜いて行く車の助手席から次から次と
「頑張れ~! 頑張って~!」と声がかかるのです。
対向車線を走ってくるトラックの高い運転席からも
窓から顔を出して激励の大きな声が聞こえます。
もうこんなに応援されて元気が出ない訳はありません
思ったよりも早く箱根峠に着いてしまったようです。
着いた~
2年前、高校2年生の修学旅行で訪れた箱根に
今度は自転車で来ることになりました。
このあたりからまた記憶がないのですが
いま改めて地図を見てみると、熱海市まで最短距離(約20キロ程)を
走ったと思いますので、たぶん十国峠を走り熱海市に行ったのでしょう。
走れ東海道・伊豆大島編 [黒い玉手箱]
愛知県を出発して2日目
箱根を出発して、最終目的地の伊豆大島に行った思い出を書きます。
前日の早朝に愛知県を出発して2日間、約260キロから270キロ程走り
ついに熱海市に到着、それからすぐ大島行きの船に乗ります。
思い出といっても箱根から熱海までの様子はまったく思いだせなくて
覚えているのは熱海市から伊豆大島に向かう船の甲板
友人と2人で大島が見えたときの風景やなんとも言えない心境などです。
伊豆大島(ネットから借用)
あのときは熱海から少し曇っていて暗い感じの大島に見えましたが 船から島を見てるときの雰囲気としてはこの写真のようでした。
そしてついに目的地の伊豆大島に上陸
海岸の近くで2日目のテントを張ります。
こうやって思いだしてみると
たった2日間で炎天下の国道1号線をよく走ったものでした。
記憶がほとんどないなかでも、すごく嬉しかったことや嫌なことは
忘れないもので、このキャンプのとき大きな石に足を
思い切りぶつけてしまい、痛いと思って親指を見たら
爪がぐらぐらしてほとんど全部はがれそうな状態になっていました。
抜こうと思えば抜けたのでしょうが、気持ちが悪いので
そのまま布か何かでしっかり固定してそのまま旅を続けます。
しばらくしてから爪がそっくり剥がれて、その後何カ月も
しないうちに新しい爪が成長してすっかり元通りになりました。
3日目の朝大島元町港で熱海市に戻る船を待つ私。
目的地の大島も見て、船でまた熱海市に戻りますが
ただ走るだけの旅行でしたので箱根、熱海、大島などほとんど素通り
今思うとせっかく行ったのにと残念な気持ちもします。
みなさんにもっと詳しく伝えたいのですが
ほんの少しの記憶と、古い写真が2枚残ってるだけなのです。
それでは次回(自転車旅行の最終回)
帰り道の様子もぜひ読んで下さい。
大当たり [日記雑感 12年]
お父さんの忘れ物 [日記雑感 12年]
お父さんと銀行まで散歩に行きました。
お父さんが用足しを終えて出てくるのを
いつも外でジーッとして待っているのですけど
やっと用足しを終えて、銀行からお父さんが出てきます。
するとすぐに若い女の人の大きな叫び声が聞こえました。
「お金~」
お父さんがびっくりして振り向いたら
女の人と目が合って、おろしたお金を機械から
取り出すのを忘れてきたことに気がつきました
お父さん「あ~あ 13万円も取り忘れるなんて・・・」
去年も一度あったのですけど
その時も親切な女の人に呼び止められてお金は無事でした。
帰り道は楽しい庭がある家の前を通りました。
ときどき通るけど、この家の人を見るのは初めてです
お父さんが写真を撮らしてくださいとお願いして写しました。
この家のおじいさんが
「ここを通ったらいつでも
寄りなさい」と言ってくれました。
またまた真夏日 [日記雑感 12年]
今日は昨日よりは少し涼しかったのですが(最高気温30.7度)
3日連続の真夏日になりました。
こんないい天気、山登りでも行きたいところですが
我慢して庭の草取りやら、いろいろ雑用足しで終わってしまいました。
バジルの種を蒔いたのですがさっぱり大きくなりません
気持ちいい暑さのなかで、作業のあとの昼食はやっぱりこれです。
本来なら食べる前に写真を撮ってブログに公開するべきなのですが 私の貧乏生活を見られるのが恥かしいので食べてから撮りました。
明日も30度の予報で、またこのカラッとした暑さを楽しめるでしよう。