お父さん久しぶりの連休です [日記雑感 13年]
「忙しかったなぁ、もう疲れて10歳くらい歳をとったみたいだ」と
言いながら、休みの一日目(土曜日)は
屋根の雪下ろしをしたり、買い物に行ったり忙しそうでした。
散歩は天気がいいので、少し遠くにあるタバコ屋さんまで行きました。
お父さんはこのタバコ屋さんが好きなので
近くのコンビニで買わないで、わざわざここまで来ます。
東日本大震災のあと、タバコの品切れが続いて
お父さんが困っていたときに、タバコ屋さんのおじいさんが
内緒でタバコの入る日と時間をおしえてくれたのです。
それ以来お父さんは「命の恩人だぁ~」と感謝して
なるべくここで買うようにしています。
でも今日は何を買おうか迷っているみたいです。
「プー太!もうタバコの話なんてやめなさい
未成年のプー太にタバコの話なんかさせて
とんでもない親だと父さんが笑われそうだからなぁ」
さてさて以前タバコの話題など書いてから1年ほど
経ちましたかね、その後も毎日2本~4本と減煙は続いていました。
値上げのあとは
240円のエコー(タール15mgニコチン1.0mg)を吸っていましたが
400円台で高~いと思ってたタバコの値段に、目も慣れてきたのと
命が惜しくなってきたので、軽いタバコに代えようと思いました。
それでケント(タール1mgニコチン0.1mg410円)のハッカ入りを
買って吸ってみたのですが、空気を吸ってるようなもので味気なくて
そんなわけで
今度はマイルドセブン(タール5mgニコチン0.4mg410円)の
ハッカ入りを買ってみましたが、これもやっぱり似たようなもの。
「タバコを吸ってるみなさん
エコーは安くてうまいですよ~一度買って吸ってみてください」
私ですか少しでも長生きしたくなったので軽いタバコにします
久しぶりにマイナス20度です [日記雑感 13年]
お父さんは、またまた仕事が忙しくなって
3連休を楽しみにしてたのに土曜日も祝日も仕事でした。
記事更新が遅れてしまって、10日も記事更新をしないのは初めてです。
「人気ブログ?の父さんとプー太が記事を書かないと
ソネットが倒産~~~なんてことになったら大変だ
プー太そろそろ何か書いてくれよ~父さんは忙しいんだから」
ビールを飲んでるヒマがあったら記事を書けばいいのに
お父さんはヒマな時に気持ちが落ち着かないとダメなようです
それではボクが散歩の様子を少し書くことにします。
1月末からとても暖かい日(-10度~-15度)が続いていたのに
今朝は久しぶりにマイナス20度と冷え込みました。
でも散歩のとき(朝8時)には
マイナス13度まで上がって暖かくなりました。
雪が降ったあとの写真です(1週間前)
マイナス20度なのに、朝早くから大工さんが仕事を始めています。
今朝も緑のセンターまで散歩です
ここほれワンワン・・・でも何も出てきません
緑のセンターに着きました
これは温室でバナナもあります
緑のセンターから北見の街や遠くの山がよく見えます
散歩を終えて家の前に着きました
庭は冬のあいだ雪捨て場になります
マイナス20度と言っても散歩のときはマイナス13度
太陽がポカポカと暖かくて、とても気持ちが良かったです。
この冬は何回もマイナス20度になったので
ボクもお父さんも、すっかり寒さに慣れてしまいました。
思いだせなくて困ってるお父さん [日記雑感 13年]
父と遊び回った夏休み [黒い玉手箱]
日本最北端の村(私の故郷)に住んでいて
若い頃住んでいたサハリンと北海道しか
知らない私の父親が
初めて津軽海峡を渡って
万博見物のために
大阪に行ったことを書きましたが
いろいろ古い資料を調べてみたら
そのときには私の住んでいた愛知県には寄らないで次の年のことでした。
すっかり旅行の楽しさを知った父が1年後、四国に旅行に行っての帰り
当時私の住んでいた愛知県豊田市に寄って、ちょうど私の夏休み
ということで、1週間ほどゆっくり遊んで北海道に帰って行きました。
特別な思い出も記憶に残ってないのですが
旅に目覚めた父に楽しんでもらおうと、あちこち走り回ったときの
領収書などとっておいたので、少しそのときの様子を思い出してみます。
昭和46年7月31日
父が私のところ(愛知県豊田市)に到着。
8月1日
この日は地元愛知県内をあちこち見て回りました。
2泊で信州、山梨、箱根方面へ
信州の白樺湖や諏訪湖などを見て南下、山梨県内を
東名高速道路を走り
浜名湖などを見ながら豊田市に帰りました。
8月5日
地元豊田市の周辺をのんびり見物して休養。
次の日は父が見たいと言っていた飛騨高山や金沢の兼六園に向かいます。
8月6日~7日
早朝愛知県豊田市を出発
国道41号線の岐阜県の山奥を走っているとき、今まで経験したことのない
大粒の激しい雨が降って恐ろしかったことが記憶に残っています。
なぜ恐ろしかったかというと
この国道41号線で3年前(昭和43年8月・岐阜県白川町)に
世界のバス事故で最大級と言われる大事故があったのです。
この大事故のあった昭和43年8月18日というと
私が高校を卒業して愛知県に行った年、「北海道へ国鉄で」という
ブログ記事にしましたが、旭川高専の事務職の面接試験のために
北海道旭川市に向かっている時でした。
昭和43年8月19日の急行券
この事故に遭ったバスツァーは
乗鞍岳の観光ツァーでしたが、集中豪雨のために登山ツアーを
中止しての帰り道で、8月18日午前2時過ぎのことです。
1時間に149ミリという岐阜気象台始まって以来
最大の集中豪雨によるがけ崩れが発生
ツアーのバス15台のうち2台が増水した飛騨川に転落して
104人の死者、助かった人がわずか3人という大惨事だったのでした。
そんな記憶に新しい3年前のことを思い出しながらも
無事に飛騨高山を通って金沢兼六園も見物しました。
そして金沢からの帰り道、辰口温泉のこの旅館に宿泊します。
昭和46年8月(私が21歳の頃)
父と宿泊した辰口温泉柏木旅館の領収書
注)この旅館でのたったひとつの思い出ですが
大変つまらない思い出ですのですので
みなさんは読んだらすぐに忘れてください。
旅館でのチン事
泊まった旅館は、小さな古い温泉旅館でした。
私と父は貸切状態の小さな温泉に入りましたが
裸になってから、タオルを忘れたのを思い出して
「すいませんタオルを忘れたので貸して下さ~い」と言って
そのまま父と2人で温泉に入って女中さんを待っていました。
父と並んで入口を向いて温泉に浸かっていましたが
間もなく目の前の戸を開けて
女中さんが「は~い」とタオルを私に向かって投げました。
タオルなんて落ちても壊れるものでないので放っておけばいいのに
私はタオルを受け取ろうとして反射的に
ガバーっとお湯の中から身を乗り出してしまったのです。
もう全部丸見え
5~6人しか入れないような小さな風呂場
戸を開けてすぐ目の前に立ってる女中さんは私を見ていましたが
やがてにこ~っとして立ち去つていきました。
こんなバカなことが、今でも忘れられない思い出になっています。
そんなことで父(平成3年に他界)とあちこち走り回った昭和46年の
楽しかった夏休み、父は喜んで日本最北の村に帰って行きましたが
旅に目覚めた父はその2年後に再び愛知県にやってきました。
それは私が5年3カ月暮らした
愛知県豊田市を離れて故郷北海道に帰るときです。