同級生 [昔話]
中学1年生が
煙草は吸う、クルマは運転する、おまけにケンカ早い
クソ真面目で大人しかった私?とは正反対
その悪ガキの見本のようなN君と中学から一緒になりましたが
なぜかウマがあってしまって、いろいろと思い出が残っています。
小学6年のときには12名しかいなかった同級生でしたが
中学に入学するときには
北の部落から野球の上手かったM君
西の部落からは小学生のときにピッチャーを
やっていて中学生並と言われたこともあるN君
そして初めに紹介しましたが
野球よりもワンパク少年ぶりが目立っていたN君
それに4番でエースだった私と
部落は違っていても
小学生の頃から野球をやっていた同級生は顔を知っているので
小さな中学校にしてはだいぶ豪華な顔ぶれになりました。
こうしてあちこちから一緒になって、少なかった同級生も
男女合わせて30人ほどになってだいぶ賑やかになったのです。
1年生のときには南宗谷大会の決勝で
大きな学校に敗れてあと1歩のところで
道北大会に出れませんでした。
しかし3年生のときには
村内大会で見事優勝して
稚内市で開催された
念願の道北大会に出場。
ワンパク少年のN君は
背番号2キャッチャーでトップバッター
私は背番号4セカンドで2番打者
私の時代は全校生80人程の小さな学校でしたが
昔は道北大会はもちろんのこと、全道大会でも好成績を残して
ノンプロ(今の社会人野球)にスカウトされた人もいたほどの
野球が強い学校だったので、地方紙「日刊宗谷」にも
優勝候補の次にダークホースとして紹介されました。
試合前日のパレード行進中には、見物する人の中からも
「久しぶりに出てきたな~」という声も聞こえます。
昭和39年7月31日(東京オリンピックの年)
稚内市内で道北大会出場チームのパレード
久しぶり出場の私たちのエースは
小学生のころ中学生並と言われたほどの
ピッチャーだったので、狙うのは道北大会制覇ですが
試合の結果
1回戦は稚内の中学校で優勝候補の一角が相手
1番バッターのキャッチャーN君がいきなりライト前ヒット
これで行けそうだと思ったのですが、やはり相手は優勝候補のひとつ
ピッチャーもなかなか打たせてくれません
2番の私からN君の2回目の打席までノーヒットと打線は完全に沈黙。
0対0のまま4回の表
この回のトップバッター、2番の私が打席に立ちます。
待ってました。ど真ん中に速球が来ました。
カキィーン(木製バットなのでこんな音はしませんでしたが)
快音を残してセンター前にライナーが飛びます。
ベンチからは「これだこれだ~」と
今まで相手ピッチャーに押さえられていたので
溜まっていた欲求不満が爆発したようなコーチの声。
続いて3番打者
エースのN君もヒットで続いてノーアウトランナー1塁2塁。
4番大砲のショートM君
打ったぁー大きい
さすが4番、2塁ランナーの私は楽々ホームイン
レフトオーバーの2塁打で待望の1点が入りました。
あとは小学生のときに中学生並みと言われた
我がエースが、完璧に相手打線をねじ伏せて1回戦を突破。
2回戦
これも大きな町の強豪チームが相手
0対0のまま後半、相手の攻撃でランナーは3塁
セカンドを守る私のところにゴロが飛んできたのですが
セカンドゴロを処理して、ホームに投げればアウトに出来たのに
緊張のためか、1塁に投げてしまってアウトは一つ取ったものの
この間に1点取られてしまってこれが決勝点。
私の記録にならないエラーで敗退となってしまいました。
しかしその後セカンドオーバーのヒット性の打球を
汚名挽回とばかり、必死で追ってスーパーファィンプレー
このファィンプレーのことは、後日全校集会のときに
校長先生がみんなの前で話してくれたのですが
私のミスのことは何も言わず、ファィンプレーを褒めてくれたのです。
私も腐らず頑張って良かったと、とても嬉しかったものでした。
こうして2回戦で敗退してしまいましたが、久しぶりの道北大会!
その後同窓会などのときは、この話で盛り上がるのですが
思い出深い母校が廃校になって30年ほど経った今は
小さな中学校時代のいい思い出に残っています。
そして高校時代
3年生のときにはバンドを組んで
彼がドラムで私はリードギター(右側の写真)と
6年間一緒だった学生生活も、最後にまたいい思い出を残して終わります。
仲良くしていた同級生が豊田市まで遊びに来た話をする
コーチのそれだそれだ~という興奮した大声を
バカヤロー審判やめろー [昔話]
前回は中学時代の野球のことを記事にしましたが
小学6年生の時にも
忘れられない野球の面白い思い出?がありました。
(あくまでも記憶ですので、点数差やアウトカウントなどは
実際とは少し異なるかもしれませんがご了承ください)
エースの私が乱調
そして私を救援したピッチャーも不調、3対7とリードされて
敗色が濃くなってきたとき、味方に絶好のチャンスが回ってきました。
2死満塁
私の打順の前にピンチヒッターS君が出ます。
5年生ながら4番を打たせてもいいくらいのS君ですが
体が悪いこともあったので、レギュラーから外れていました。
そのS君、みんなの期待どうり「カキィーン」という快音を残して
打球は弾丸ライナーで、内野を抜いて外野も抜いて
走者一掃のランニングホームランになってしまいました。
これで味方の応援団は一挙に盛り上がります
同点に追いついてツーアウトランナーなし
バッターは4番の私
打席に立った私にも興奮した応援席から大声援
「カキィーン」
ランニングホームランを打ったS君と同じところにライナーが飛んで
ボールは内野を抜き、そして外野がもたつく間にホームイン
連続ランニングホームランで勝ち越し、応援団は大爆発
しかし
審判協議の結果、外野はエラーと判定されて
私は2塁に戻り、次打者は凡退して同点のまま
次の回の守備
私を救援したピッチャーも不調で、私が再登板
ランナー3塁、1点取られたら負けるピンチでした。
このとき私(右投げ)が
新ルールに従って軸足(右足)を外さないで3塁にけん制球を投げます。
(それまでは軸足を外さないとけん制球は投げられないルールでした)
ボークと球審の判定
しかし我が監督が抗議、判定はもちろんボーク取り消し
このとき応援席から大きな声で
と痛烈なヤジが飛びました
審判もすぐに応援席の方に向かって帽子を取って
すみませんでした~と深々とお辞儀をして謝ります。
このヤジ、実は私の父だったのです
いやー恥ずかしくて
「父さん、プロレスの試合でないのだから
少し静かに見ててくれないかなぁ」と思ったのですが
同点になったときから、父も応援団もすっかり興奮してしまって。
マウンド上で動揺してしまった私ですが
なんとかこのピンチを0点に押さえて7対7の引き分け。
応援団も大興奮の忘れられない試合でした。
故郷の海 [故郷の話]
この古い写真は私が4歳のとき、実に60年前の写真なんです。
私の乗ってる船は、漁師をやっていた父の船ですが
なんとマストがあるのです。
そして海を見てください、ぜーんぶ帆かけ舟なんですよ。
漁船の動力が機械化されたのはこの2~3年後かと思います。
昭和29年7月2日(オホーツク海)
このころはまだニシンが獲れていたころで、父も東北あたりから
出稼ぎにきた若い衆を何人か雇って漁をしていました。
たまーに小さなフグも網に入ってるのですが
売れないからか料理が面倒なのか
浜に捨てられてカモメやカラスの餌になってしまうのです。
海から上がったばかりのフグは、腹をふくらませてポンポンに
なってるのですが、そのフグを石に向かって投げると
パーンといい音が出るのが面白くてよくやったものです。
食べるとすごく美味しいのですが
あまり食べさせてもらえませんでした。
きっと毒もあるので料理が面倒だったのかと思っています。
それにしても石にぶつけて破裂させるなんて
ずいぶん残酷な遊びをしたものです
お父さんは連休で~す [日記雑感 13年]
12月に入ってから忙しかったお父さんが
昨日(土曜日)から、やーっと年末年始の連休になりました。
連休に入ったら
プー太と毎日3回散歩
ブログの昔話の記事も更新
図書館に行っていっぱい本を借りて
たまには映画もみたいし
そうだ冬のにころ山にも行ってみたいな~
っていろいろやりたいことがあるようです。
でも連休最初の日の早朝は吹雪になってしまったので
朝から家の周りの除雪、午後からはお母さんの買い物の付き合い。
夕方は5時前から風呂に入ってビールを飲んだら
あ~あ疲れたぁー、今年の疲れがいっぺんに出てしまった
と言って8時ころ寝てしまいました。
お父さんが一生懸命除雪をしたのできれいになりました
緑のセンターへ行く歩道はきれいに除雪してあります
緑のセンター
みなさんしばらくご無沙汰してしまいました。
何かと気ぜわしい毎日でしたので、さっぱりブログの
更新をする気にもなれなくてすっかり遅れてしまいました。
あまり更新しないと
プー太の父さんポックリあの世に行ってしまったんでないの
なんて心配かけたりするかなと、気もあせっていたのですが
もういつポックリ逝ってもおかしくない年齢ですからね
昔話もまだまだいろいろと思い出すのですが、気分の乗らない
記事なんか書いたら、みなさんに失礼だと思って我慢してたのです。
やっぱり落ち着いたときに書くのが一番ですね。
さて、この冬の北見市の様子ですが
雪は平年並みなんですが
気温が高くて、最低気温マイナス12~13度くらいの日が
何度かあっただけで、今のところは暖かい冬になっています。
一昨年までは電気毛布なんか使ったことがなかったのですが
昨年(昨シーズン)はマイナス20度以上の日が何度もあったので
そんな厳しい冷え込みの日だけ電気毛布を使っていたのです。
しかし暖冬の今シーズンなのに毎日電気毛布の世話になっています。
年をとったというよりは、一度甘えてしまうともうダメなんですね
(布団に入ったらスイッチは切りますけど)
冷え込む日、外がマイナス20度くらいになると
私の北向きの部屋は朝方、な~んと2~3度まで下がるんです。
南国の方なら外に寝てるのとあまり変わらない状態なんですよ
2013年 大みそか [日記雑感 13年]
間もなく新しい年なりますが
以前札幌じいちゃん金魚の手術(2012-09-24)という
タイトルで記事にしました女房の父が9月、93歳で天国へ旅立ちましたので
新年のご挨拶は遠慮させていただきます
日中はプラス0.5度と穏やかな大みそかの散歩
毎年大みそかと元旦は、普段より美味しいものを食べたり飲んだり
そしてまた新しい気持ちになったりと、1年の区切りになります。
しかしそんな初々しい気持ちも、1月の中頃にはまた元に戻ってしまって
いっそのこと自分の暦だけ、毎月正月にしたらどうだろうかと思ったのです。
これなら1年中新鮮な気持ちでいられると思ったのですが
しかし毎月、年も取るのだからあっという間に
80歳になり90歳になり、そんなこと思ったら正月なんて
オリンピックのように4年に1度でいいのかもしれませんね。
1年ぶりの年末年始の連休
普段は大好きな読書もゆっくりできないので、本の読み貯めを
しようと思って、久しぶりに図書館に行ってたくさん本を借りてきました。
ビタースィートさんとハマナスさんのブログで知った高田郁さん
そのうち老後が始まるので少し勉強
そして大好きなジャンルの本
まぁこんなところですが、普段はなかなかゆっくり読書も出来ないので
正月はゆっくり読書をしようなんて思っています。
高田郁のエッセイを読み終えましたが
なかなか良かったですね、今度図書館に行ったときには
お二人がお勧めのふるさと銀河線も借りてこなくちゃ
それでは喪中につき、コメント欄も閉じさせていただきますが
新しい年もみなさんの訪問を楽しみにお待ちしています。