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正月は読書ざんまい [読書]


新しい年も3日過ぎました。

年末年始の連休に入ったら

たまには映画もみたい
そうだ冬のにころ山にも行ってみたい
プー太と毎日3回散歩
ブログの昔話の記事も更新
図書館に行っていっぱい本を借りてくるぞ

なんていろいろ楽しみにしていましたが

映画館は正月なので混んでいるだろう
この寒いのに山登りなんて行くのはやめよー
プー太の散歩も歩道はツルツル滑って危険だから2回
ブログの昔話もまだ手をつけてないし

毎日何をやってるかというと

やっぱりこれなんです。

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遠ざかるとあまりしなくなるんですが、読みだすと山本リンダ
歌じゃないけどどうにも止まらない状態になってしまって。

作家、脚本家の田中澄江さんの山はいのちをのばす良かったですね

91歳で亡くなったようですが、10代半ばからの登山好きで
この本を書いた89歳のときはまだ山歩きをしていて
高齢になってからも高い山を登っていたというのです。

エベレストに登った三浦雄一郎さんにも驚きましたが
この田中澄江さんもまたすごい元気な人だったのですね。

あれこれ読みすぎたので、もう読書は止めようと思ったところで
森村誠一のサスペンスなんか読みだしたら、これが面白くて面白くて

さすが森村誠一[exclamation]
この人の本は読みだしたら途中でやめられなくなるのです。

もう今夜は止めようなんて思って布団に入るのですが
布団に入ってからもやっぱり続きを読みたくなってしまって
また本を持ってきて布団の中で続きを読んで

そんなことで年の初めは毎日読書の日となりました。

喪中につきコメント欄は閉じさせていただきます

 

 

 


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故郷の海底ケーブル [故郷の話]

 

皆さんこれが最後です
さようならさようなら

終戦から5日後の1945年8月20日
樺太(サハリン)の真岡(ホルムスク)で、迫り来るソ連軍の前に
死を覚悟し交換台に向かった9人の女性たちの最後の言葉。

この通信はサハリンから
延長約160キロの海底ケーブルを伝わり、北海道で受信されました。

その地がこの北海道新聞の1月4日の記事に出ていました。

孫社長の知恵袋と言われる嶋社長室長

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今も海底ケーブルはそのままに

なっているのですが

ソフトバンクがこのケーブルに

着目してサハリンから北海道に

電力を送る構想があるというのです。

 

今までだれも見向きもしなかった

この古い海底ケーブルに

目をつけるなんてすごいことで

さすがソフトバンクだと

驚いたのです。

 

 

さてさて本題に入りますが

この写真の地海底ケーブルがあったところは、いつも昔話に
出てくる私の故郷、そして私が育った家の隣なのです。

子供のころケーブルを見るたび不思議に思いました。

普段は砂に隠れて見えないのですが
年に1度か2度の台風並みの大シケのあと、太さ10センチ以上もある
ケーブルが顔をだすので、それがとても神秘的に感じられたのです。

ここは我が家の庭と同じようなものだったのですが
ちょうどこの写真のケーブルの記念碑のところから海岸に向かって
緩やかな坂になっているので、子供のころ冬はよくスキー遊びをしました。

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先日記事にしたこの写真は新聞の写真とほぼ同じところですが

帆かけ舟の写真から60年、眠ったままの海底ケーブルを利用して
サハリンから北海道に電力を送るというソフトバンクの構想
なんとか実現してほしいものです。

(北海道新聞の記事を参考にさせていただきました)

 

 

 追記

あとでもう一度新聞をよーく読み直してみたら、このケーブルを参考に
稚内とサハリンを結ぶ新しいケーブルを作る構想のようです。

スミマセン[ふらふら]
記事を良く最後まで読まないでしまったので、勘違いのようでした

 

 

 

 


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同級生がやってきた [黒い玉手箱]

 

黒い玉手箱:愛知県在住時代の昔話(私が18歳から23歳のころ)

中学1年生が(本当は小学生のころからという記憶もあるのですが
煙草は吸う、クルマは運転する、おまけにケンカ早い

前回の昔話で、この同級生のN君が豊田市に遊びに来た話をしようと思ったら
野球の話になってしまってすっかり遅くなってしまいました。

中学の時は一緒に野球に汗を流し

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高校時代はバンドを組んで(ドラムN君、リードギターが私右の写真)

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そして高校を卒業
私は愛知県豊田市に就職、同級生は札幌の大学に行きました。

 


トヨタで働くようになった年か2年目のこと、彼が友達と二人で
札幌から豊田市の私のところに遊びにくることになりました。

あのころトヨタの寮では、親や兄弟が遊びに来る時は寮の空き部屋
を貸してくれていたのだと思いますが、私が寮の事務所に行って
事情を話すと、快く部屋を貸してもらえることになりました。

こうして友人たちと私の3人が、布団も3組貸してもらって
きれいに掃除もしてある、きれいな部屋に2泊させてもらったのです。

豊田市から3人で私のポンコツカローラに乗り、N君が運転して名神高速道路を
走ったのですが、時速130キロくらいになるとクルマがミシッミシッと
飛行機に乗ってると聞こえる、空中分解でもしそうな不気味な音がするのです。

しかしそれが限界だったようで、それ以上はスピードは出ませんでした。
行った先は関ヶ原の古戦場などでした。

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こうして寮の計らいで泊るところの心配もなく
学校を卒業してからの再会を楽しく過ごしたものです。

 


 その1年後か2年後

彼は大学を卒業して就職、千葉県に茂原市に住むことになりました。

ある日のこと、私が勤務中に電話だと呼び出されます。

電話の主はN君

すぐ近くまで来てるのでちょっとでもいいから会えないかな~
という電話でした。

当時は私はトヨタの本社工場から移動して、カローラなどを生産していた
上郷工場に勤務していましたが、N君は近くを走る東名高速道路の
上郷サービスエリアから電話をくれたのです。

もちろん私は上司の許可を得て上郷サービスエリアまで走りました。

サービスエリアにいる彼とフェンスを挟んで一般道路側から私と
奇妙な会い方でしたが、
故郷北海道の最北の村に住んでるハズの彼の
お母さんも一緒にいたので私も驚きました。

話を聞くと、岐阜のほうに有名な整骨院があるので
お母さんのために観光がてら岐阜まで行くということなのです。

ほんのわずかの時間でしたが嬉しい出来事でした。

 

それから数カ月(昭和48年3月)

 

広い北海道に比べたら愛知県と千葉県なんか近いものです。

私も東名高速道路、首都高速や京葉道路などを走って
千葉県まで遊びに行き、赤ちょうちんで一杯やったり
あちこち案内してもらったり楽しく遊んできたのです。

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さらに4ヶ月後(昭和48年7月)img002.jpg

そしていよいよ私はトヨタを辞めて

北海道に帰ることを決めましたが

北海道に帰ったら、千葉県に行く機会も

なくなると思ってまた千葉県まで走ります。

 

 

千葉県にはこの友人ばかりでなく、現在群馬県に住んでいる
叔母が船橋市に住んでいたので、このときは叔母の家に行くのが
目的だったのですが、叔母の家にお邪魔したり友人に会ったりして
最後の千葉を楽しんできたのです。

このときはトヨタを辞めて北海道に帰る1週間前でしたが
この年は愛知県に住んでいた5年間でも一番暑く感じた年でした。

やっと北海道に帰れると思って、緊張感がなくなって
しまったために余計いつもより暑く感じたのかもしれません。


それからさらに3年後

彼も札幌に転勤になり、札幌のススキノで飲みに行くことになりましたが
このとき二人で入ったスナックで驚くべきことになったのです。

以前に記事にしましたが、あの頃有名だった歌手のマイク真木さんに遭遇
マイク真木さんに、すっかりごちそうに
なってしまうという
忘れられない出来ごとがあったのでした。

何かと思い出の残った同級生の話でした。

 

 

 


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葛西選手W杯最年長優勝 [日記雑感 14年]

 今朝の7時の気温ー18度、本格的な寒さになってきました

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プー太2.JPG「お父さん冬のオリンピックどっちでやるのおぉぉ~」

5 - コピー.pngそっちいぃぃ~」

プー太1.JPG「・・・・???」

 

ハハハ、くだらないですね~[ふらふら]
いいんですよ無理して笑ってくれなくても

今日はすごく気分がいいんですよ[わーい(嬉しい顔)]

私の大好きなスキージャンプ

女子の高梨沙羅選手はW杯札幌2連勝

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そして海外からもビッグニュース[exclamation×2]

なんと

男子の葛西紀明選手が岡部選手の記録を更新してW杯最年長優勝

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そして今朝のニュースでは、そのあと3位と絶好調
しかも2回目の飛躍は201mのトップで4位から順位を上げたというのです。

私はレークプラシッドオリンピック(1980年)の前から
ジャンプ競技のファンになってしまって、オリンピックやW杯札幌大会など
数少ないテレビ中継を30年以上観続けていたのですが、そのなかでも特に
切れ味鋭い豪快なフォームからカミカゼ・カサイと異名を持つ葛西選手。

頭から足まで、スキー板と一体となった
深い前傾の豪快なフォームは、ずっと世界一だと思っていました。

長野オリンピックの時は、ケガや不調でメンバーから外れて腹の中は
煮えくりかえる悔しさだったと思うのですが、よく頑張ってきたものです。

長野オリンピックのときは日本中大騒ぎになったのですが
私をはじめ葛西ファンは喜び半減、でもこれですっきりしました。

普通の選手なら30歳も過ぎたら引退も考えるところ、葛西選手は
41歳7か月の今も、オリンピックに出て金メダルを取ろうとしてるのだから
超人なのか鳥人なのか、すごい選手としかいいようがないですね。

ソチオリンピックもますます楽しみになりました~


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お父さん今日もジャンプ観戦 [日記雑感 14年]

プー太2.JPG日本のあちこちでいっぱい雪が降ってるのに
北見は今年に入ってから、ほとんど雪が降らなくて
最低気温もー15度からー19度くらいと、平年並みの日が続いています。

この雪は、ほとんど12月に降った雪です

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去年は-20度以上の冷え込みの日が多かったので

お父さんは

今年の冬は雪は少ないし、気温もそれほど低くないから楽だなぁ~

って言ってます。

午後3時の散歩、気温はー8度

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5 - コピー.pngP1190004.JPG

 

プー太早く帰ろ~

ジャンプが始まってしまうぞ~

 

 

お父さんは、今日もスキーの

ジャンプ放送が楽しみなので

午後の散歩は早めに終えて

さっさと家に帰りました。

 

テレビの前でリモコンを持ったまま、NHKの女子のジャンプを観たり
STV(札幌テレビ)の男子のジャンプを観たり忙しそうでした。

同じ時間帯に男子と女子のジャンプを放送するなよ~
少しはジャンプファンのこと考えろ、バカタレ~~~[ちっ(怒った顔)]

 

ってブツブツ言いながらテレビを観てたら
NHKではまたまた高梨沙羅選手が優勝して大喜び。

でもSTVでは葛西選手は優勝出来なかったので

だから同じ時間に放送するなって言ったんだぁ~~~k-90.gif

喜んだり怒ったり、お父さんの忙しいジャンプ観戦でした。


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-22度の散歩 [日記雑感 14年]

 

プー太2.JPG大寒の20日の朝6時、お父さんが外の温度計を見てきたら

5 - コピー.pngウワーッ[どんっ(衝撃)]
今シーズンの記録更新だ~マイナス22度だぞーっ[exclamation×2]

久しぶりに日の出の写真でも撮ってくるか~

 

今年は普通に寒い-15度から-19度の日が続いていましたけど

ついにこの冬初めてー20度を超えました。

こんな日は日の出がきれいなので
お父さんと張り切って6時に散歩に出発しました。

家を出てから15分後、緑のセンターに到着。

写真を1枚撮ったらお父さんは

プー太、父さんは指がしびれてもうシャッターを押すのは無理だ。
これ以上の散歩は危険だからすぐに帰るぞ~

そういうことで日の出を待っていられない
寒さだったので、急ぎ足で逃げるように家に帰ってきました。

 

お父さんは

指の感覚はなくなるし、血は凍りそうになるし
あ~あ、生きて帰れて良かった良かった
[わーい(嬉しい顔)]

夜明け前、午前6時20分、気温-22度
緑のセンターから見た知床方面の空

P1200001.JPG

 

 


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