3話・美ヶ原 [信州ドライブ旅行]
5月20日の前半
この日は昔から行ってみたいと思っていながら
行くことがなかった美ヶ原と霧ヶ峰へ行く予定です。
部屋の窓から外を見たら天気は良さそう
諏訪湖湖畔・岡谷のホテルを張り切って5時頃出発。
美ヶ原へ行く途中にこんな案内があったのですが
どこに水戸浪士の墓があるのか分かりませんでした(5時40分)
この道も40年以上昔は、たしか有料道路で
白樺湖までは2度行ったことがありました。
木がほとんどない珍しい風景の小山に出あいます。
この日は長い間憧れていた美ヶ原の頂上に
行きたかったので、彼と別れて美ヶ原へ向かいました。
ついに美ヶ原の終点・山本小屋に到着します。
おもわず深呼吸をしたくなる風景
(山本小屋駐車場:7時)
頂上の「王ヶ頭ホテル」に宿泊しているようでした。
早起き人間の私一人だけで誰にも会わなかったのです。
聞いたことのない山の案内がありました。
時間はたっぷりあるので
さっそく牛伏山の頂上に向かいましたが
思ったよりも近くてすぐに着いてしまいました。
頂上からは、少しかすんでいますが前方に
北アルプスや昨日見れなかった御嶽山と乗鞍岳も見えて
左を見れば南アルプス甲斐駒ヶ岳、後を振り返れば八ヶ岳。
文字通り360度の絶景
目的地、美ヶ原の最高地点「王ヶ頭」に向かいます。
間もなく頂上、左は有名な「王ヶ頭ホテル」
美ヶ原高原の最高地点「王ヶ頭(2034m)」
ここからは日本百名山のうち
41もの山が見えるそうで本当に素晴らしい景色
実はもう一つの見どころ「王ヶ鼻」も予定していました。
しかもここからわずか20分のところなんです。
ところが
この日の朝は、腹も空いてなかったので
「山本小屋で食事をすればいいだろう」と思って
セブンイレブンに寄って来ませんでしたが
山本小屋に寄って聞いてみたら
泊まり客以外の一般客は10時頃からだったのです。
おかげで、牛伏山を下るころから腹が空いて
時々目まいがするようにフラついて
「もしもこんなところで倒れたら」と不安になっていました。
たぶん血糖値が下がっていたんだと思います。
こんなつまらない理由で「王ヶ鼻」を諦めてしまって
情けないやらバカらしいやら、自分に腹が立ちました
そして
山本小屋に戻るころ、この写真のあたりで
向こうから来た私と同じくらいの年の男性が
私に「あの山は富士山ですか?」と聞くんです。
残雪の美ヶ原(うつくしがはら)高原と
遠くにみえるのが八ヶ岳北部の蓼科(たてしな)山
私は詳しいフリをして
「あぁ、あれは蓼科山ですよ。
こちらでは諏訪富士とも言うようですけどね」
それからその男性としばらくのんびりお喋り。
やはり自分と同じ、昨年からの年金生活で
奥さんを大阪の自宅に置いて、クルマの一人旅でした。
お互いに自由なのんびり一人旅。
昔の旅の話なんかしたり聞いたりして、長い時間
お喋りをしてから美ヶ原をあとにして霧ヶ峰に向かいます。
霧ヶ峰に行く途中
また朝早く立ち寄った三峰山の近くの道まで戻りますが
このまま通り過ぎるのもなんだか未練が残ったので
また三峰山の山小屋のある近くの駐車場にクルマを停めました。
三峰山と山小屋
そのとき
ちょうど朝早く出あった栃木の佐野市から来ていた
男性が、三峰山を下山してクルマのところにいたんです。
またまたあちこち、この付近を歩きながら
30分ほどもお喋りをしてしまいましたが
私が
「そこの山小屋で食事をしてから
三峰山に登ろうかと迷ってるんですよ。
ただし今からでは、両方登るのは時間的にも
ちょっときついから霧ヶ峰の頂上は諦めますが」と言ったら
佐野市の男性は
「もう少し走ると霧ヶ峰ですよ。
せっかく北海道から来たのにもったいないですよ」
と言われたので
「三峰山に登りたい」という雑念を捨てて
フラつきも少し治まってきたので、この男性と別れ
予定どおり霧ヶ峰に向かうことになりました。
話が長くなったので
この日の後半・霧ヶ峰の話は次回に。
コメント欄は閉じています。
4話・霧ヶ峰 [信州ドライブ旅行]
5月20日・午後
朝から高原ばかり走っているので
特別に高い峠とは思わなかったのですが
美ヶ原高原から霧ヶ峰高原に行く途中
扉(とびら)峠という標高1580mの峠があります。
この扉峠のただ1軒のドライブインに寄ったら
70歳近い母親と、40代くらいの娘のような親子に
見える女性が二人で開店の準備をしているところでした。
扉峠の古いドライブイン
このドライブインのそばから遠くを見ると
蓼科山(2530m)など八ヶ岳が見事な眺めです。
そしてドライブインのテラスからも
まだ10時頃でしたが、この日は何も食べないで
美ヶ原を歩いたりしたので腹がペコペコです。
自分一人で貸し切りのようにして食べた「かつ丼」と
近くの山で採れたという「キノコ汁」の美味かったこと。
食べ終えてドライブインを出るときに
美味いかつ丼と素晴らしい景色に大満足。
また走って
霧ヶ峰に着いたとき、昼12時になりました。
登り始めますが、かつ丼の栄養が全身に回ったのか
美ヶ原で空腹のためにフラついたのがウソみたいに
絶好調
車山のシンボル・気象レーダーが見えました。
着きました。
美ヶ原のように360度すばらしい眺めですが
北アルプスが小さくなったかわりに
蓼科山など八ヶ岳がすごく大きく見えます。
車山頂上(1925m)
「出来ましたら、またいつか来れますように」と
しっかりお願いもしてきました。
予想を超える素晴らしい山景色と登山も出来たので
満足して下山後、今夜の宿泊地・茅野市に向かって
走り出しますが、ずーっといい景色が続くので
すぐにクルマを停めては景色に見入ってしまいます。
さすがはビーナスライン
ここで景色を見て、ため息をついていたら
親子連れと思われる30歳くらいの男性と
60歳くらいの女性が私のところにやってきました。
60歳くらいの女性
「私ね~北見に行ったことがあるんですよ
そのときはキツネ牧場など見たんですけど」
話を聞くと
息子さんが母の日のプレゼントにと、大阪から
クルマで旅に出て、今日は美ヶ原の「王ヶ頭ホテル」に
泊まって星を見るのを楽しみにしてると言うのです。
しばらくお喋りを楽しんで別れましたが
心優しい息子さんとお母さんのためにも
なんとか今晩は晴れて欲しいものだと思いました。
しかし、この日の夜中(茅野市のホテルで)は
かなり長いあいだ、雷と激しい雨が降っていたので
星を見ることは出来なかったかもしれません。
それでも翌朝はきれいに晴れたので
たぶん、「王ヶ頭ホテル」の部屋の窓から
美ヶ原名物?の素晴らしい雲海は見れたことでしょう。
その後さらに茅野市に向かうと
むかし懐かしい白樺湖に着きました。
蓼科山(2530m)に最接近
ここでは主役の白樺湖もけして
小さくはないのですが、蓼科山が大きいので
どうしても蓼科山のほうが目立ってしまいます。
住んでいた愛知県豊田市に寄ったことがありました。
そのときこの白樺湖に連れて来たんです。
あの頃はまだ登山にも興味がなかったので
こんな高い山(蓼科山)があったなんて記憶にありません。
この日の宿泊地、茅野市のホテルに着きましたが
どこを歩いても八ヶ岳が見えるので
ホテルに着いてからも1時間ほど街を散策しました。
毎日のように
こってりしたものばかり食べていたので
さっぱりしたものが食べたくなってしまって
この日はホテルの近くの、イオンにも
負けないくらい大きな「おぎの」というスーパーで
生ずしと、ツマミに焼き鳥を3本買ってホテルに帰りました。
絵葉書でも見ているような
素晴らしい山景色が連続の一日も終わり
明日は八ヶ岳を横断して関東に入ります。
あと書き
この茅野市や近くの上諏訪と八ヶ岳など「梓林太郎」の
山岳推理小説の舞台になることが多いのですが
茅野市で宿泊するホテルのフロントの男性も「梓林太郎」の
ファンだということで、話が盛り上がってしまいました。
最初に言うのを忘れましたが
旅先での見知らぬ人達との
出合いや会話も旅の大きな楽しみなので
できるだけそのお喋りの様子も再現しています。
5話・信州から関東へ [信州ドライブ旅行]
5月21日・午前
我が家にいるときと同じ9時前にはベッドに入り
ほとんどすぐに就寝、早朝3時から4時前には
目が覚める習慣がこの旅でも続いています。
ベッドに入ってもすぐに眠れるので
睡眠十分、体調もベストな毎日です。
この日も早朝5時前には茅野市のホテルを出ましたが
昨日は朝飯抜きで失敗したので、途中のコンビニで
サンドイッチとコーヒーの軽い朝食をしてから
八ヶ岳を横断して埼玉県秩父市まで走る国道299号線
(長野側は通称メルヘン街道)を麦草峠に向かいました。
蓼科山ともお別れ(5時20分)
奥蓼科温泉郷や別荘地帯などの細い道を
徐々に上りながら走ると、少し雪景色に変わってきました。
そういえば
夜中に一度目が覚めたらかなり激しい雷雨でしたが
まさか雪が積もるなんてまったく予想していませんでした。
もうこれ以上積もったら
日影は少し棄権だなと心配になってきたころ
この日の最初の目的地・麦草峠に着きました。
麦草峠(標高2127m)
群馬と長野にまたがる
渋峠についで、国道では標高2位
この峠が八ヶ岳横断道路のピークになります。
北見を出発して旭川に行く途中の石北峠では
ミゾレの吹雪状態でしたが、それは北国
北海道のことなので予想の範囲内ではありました。
それがまさか長野県で雪に遭うとは。
考えてみたら
この麦草峠は石北峠の2倍以上の高所。
北海道最高峰の「大雪山・旭岳」と
たいした変わらない高さのところにあるんです。
この雪景色を見て
楽しみにしていた八ヶ岳への初登山は
諦めることにして麦草峠を少し下りました。
そろりそろりと2~3分
峠を下ると白駒池の案内看板を発見(6時)
この白駒池も
八ヶ岳のガイドブックで読んで知っていましたが
八ヶ岳縦走や散策には重要なポイントのようなので
寒い中を少し歩いてみることにしました。
やはりガイドブックに
出ていたようになかなかいいところです。
まだ6時を過ぎたばかりでしたが
地元・諏訪から来たという、50代くらいの
女性が一人で写真を撮っていました。
こんな寒い朝
かなり値段の高そうなカメラを持って、撮る姿も
私のようなへっぴり腰でなく、さまになっていたので
もしかしたらプロの写真家かと思ったりしました。
池の出口が近くなった頃
心配そうな顔をして立っていた青年がいました。
白駒池の周辺をハイキングしたり
登山したりの予定だったようですが、この雪の
悪路のためにちょっとためらっていたようでした。
私が
「とりあえず、池の方はなんとか大丈夫ですよ」
と言ったら
男性は
少し安心したように池へ向かって行きました。
雪のために登山は出来なかったけれど
これで少し満足して帰り道へ
と思うでしょう。
白駒池を歩いてるうち
景色もそこそこに考えていたんです
「八ヶ岳の初登山を、楽しみにしていたのに
このまま信州から去るわけにはいかない
たとえ入口から少しでもいいから登ってみよう」
このままじゃ悔いが残ると、さっき下って来た道を
麦草峠の駐車場まで引き返してしまいました。
この道案内の字が読みにくいので
手で雪を払おうとしたのですが
日影なのでまだ氷ついていました。
早朝から晴れ上がっていたので
かなりの冷え込みだったと思います。
八ヶ岳初挑戦は
麦草峠から一番近い茶臼山(2384m)
登山口との標高差は僅か260mくらいです。
登山口まで来たのですが、最初から
足場がぬかるんだりしてかなり悪い状態です。
それでもそのうち良くなるかもしれないから
行けるところまでと行こうと歩き出しました。
茶臼山登山口(7時10分)
しばらく歩いても、そのうち良くなるどころか
足元の石がだんだん大きくなって岩になり
雪をかぶって非常に滑りやすくなっています。
雪景色のため進路も心配になってきました。
もう少し見通しが良かったらまだ進めましたが
もしも林の中で迷ったら大変なことになるので
ここでいさぎよく諦めることにしました。
登山スタートから50分
八ヶ岳初登山もこのへんで撤退(8時)
登山口まで戻ると足跡がたくさんありました。
駐車場で見かけた登山姿の二人の山ガールは
入口まで来たのに諦めて戻ってしまったようです。
たいした標高差ではないし、見た目は登り
やすい感じの山でしたがやっぱり八ヶ岳です。
雪と誰も人がいない状態での茶臼山は、低山を
のんびり登山中心の自分には無理がありました。
それでも、白駒池から引き返して
八ヶ岳をほんの少しでも体験出来たし
こんな状態では自分には無理だと確認も出来たので
諦め感と満足感でもう何も悔いは残っていません。
こうして心残りもなく
次の目的地・埼玉県深谷市に向かいましたが
その後も景色のいい高原ドライブが続きます。
軽井沢方面に見えるのはたぶん浅間山?
独特の山姿なので、群馬と長野の
県境にある「荒船山」とすぐに分かりました。
このまま佐久市の方に向かえば良かったのですが
まだ時間に余裕もあったし「出来るだけ景色のいい
田舎道の国道を走りたいと」欲を出してこのまま
299号線を群馬県上野村に向かうことにしました。
これが大間違い
国道なのに
さっぱりクルマは通らないうえに、あとでこの
国道は「大型車通行止め」なんて知りました。
しかもますます細い道になって延々と続きます。
これホントに国道かと心配になりますが
たしかに「国道299号線」の標識が
立っているので間違いないのです。
これじゃあ軽四輪だってすれ違えません。
これが国道???心配しながら
長野と群馬の県境「十石峠」に向かう
こんな林道のような山道の国道を、1時間近くも
走って上ってようやく十石峠に着いたのですが
対向車も後ろから来るクルマもまったくのゼロ。
や~っとこの駐車場で1台の
クルマを見つけてホッとしたのですが
間もなく先に群馬のほうに走り去っていきました。
長野と群馬の県境・十石峠
この峠から群馬県
ここまで来たら、あとは上野村の中心部まで
下るだけと気持ちは少し楽になったのですが
こんどは道路のあちこちに落石が転がっていました。
こんな尖って切れ味鋭いような石を踏んで
タイヤがバーストでもしたら大変なので
ゆっくりと落石を避けながら走ります。
ナビの音声は出ない
携帯の電波は通じない
クルマだって通っていないのだから
本当に心細い道でしたが、上野村の最初の民家が
見えたころ、やっと1台のクルマにすれ違いました。
そこの民家の人に聞いたら
「このまま299号線を走るよりも
下仁田のほうに出たほうがいいですよ」
とおしえてくれました。
少し道路は良くなってきましたが
もう変な山道を走るのは懲り懲り
忠告に従って299号線から
別かれて下仁田に向かいました。
たとえ「100万円やるから走れ」と言われても
こんな道を、昼間も嫌だけど夜は絶対お断りです
ここで299号線と別れて下仁田へ(10時30分)
この日は午後2時半に埼玉県川口市に住む兄と
埼玉県深谷市駅で待ち合わせていたので
群馬や埼玉を通る幹線・国道17号線に向かいました。
なお
あとで兄にこの道の話をしたら
「上野村のあのへんは関東のチベットと言われてる」
と聞いて、なるほどと納得したものです。
それから
高速道路なんか走ると
旅の面白さが半減してしまうので
高速道路を走るのは必要最小限にして
出来るだけ一般道を走るようにしていました。
6話・上野村から太田市へ [信州ドライブ旅行]
5月21日・午後
群馬県に入り、上野村から下仁田に向かう途中
「南牧(なんもく)村」という街を通りましたが
その古い街並みは、自分の子供のころのような
まるで昭和30年代か40年代の雰囲気がしました。
タバコ屋さんもありましたが
もしかしたら、昔はタバコ屋の看板娘だった
おばぁちゃんが出てきそうな雰囲気でした。
それもそのはず、あとでこの村のことを
調べてみたら高齢化日本一なんだそうです。
道の駅「オアシスなんもく」
いろんな「こんにゃく」を販売していました。
さらに下仁田、世界遺産のある富岡市など通り
東京と新潟を結ぶ国道17号線が近くなるにつれて
賑やかになってきましたが、やがて17号線に入ります。
この17号線は21年前、群馬の叔母を
訪問するときに一度走っていたので
この道に入れば安心して深谷市まで走れそうです。
実は
上野村の方を通って時間をロスしたり
国道17号線に入る時間を短く見積もったりと
すっかり時間に余裕がなくなってしまったので
兄との約束の2時半までに深谷駅に着くか
どうか心配で、昼食抜きで走りましたが
本庄市あたりから埼玉県に入り、2時少し前
無事に深谷駅に着いたときにはほ~っと一安心。
東京駅によく似た立派な深谷駅
昼食抜きで少し腹が空いたので
駅の中のコンビニでおにぎりを買って立ち食い。
(都会の駅にはほとんどベンチがないんです)
食べ終えて少したったころ
タイミングよく東京方面から電車が来て
約束の2時半前には無事に川口の兄と合流出来ました。
それから、駅から少し離れた住宅街の
ビジネスホテルを探してチェックイン。
ここもネットで調べて予約しておいたホテルですが
まだ建て替えて2~3年?きれいで宿泊料金も安く
夕食はここで食べなかったのですが
生ビール1杯ついて800円という大サービスでした。
おまけに
自転車はもちろん、クルマも無料で貸して
もらえるのです(ガソリン代だけ実費)。
この深谷市は埼玉県の北部ですが
このあとすぐに群馬県の太田市に向かいました。
叔父叔母の住む群馬の太田市にも行きたかったので
関東に入って深谷市に泊まることにしたのですが
群馬県といっても、太田市は群馬の南部なので
深谷市から利根川をはさんですぐ近くです。
距離を考えて深谷市に宿泊すると決めたのです。
叔父叔母とは川口市で会ったり、川口から兄の
クルマに同乗して訪問したこともあったのですが
「新田義貞」の生まれ育ったところのようで
地名も新田郡とか世良田とか歴史を感じる土地名で
あのときは立派な資料館にも案内してもらいました。
クルマの旅で訪問したとき
(1994年8月)
生まれ育っているのですが、こんな暑い
群馬県や東京でよくも元気でいれるものです。
夏になると40度を超えたとよくニュースに出るので
きっと太田市もほとんど変わらない暑さなんでしょう。
私なんか、北見では32度~33度にもなったら
ぐったりして虫の息になってしまうのに・・・
家族みんなで東京に行き
川口市から兄のクルマで訪問したとき
(2006年5月7日)
全部、伯父が描いたんです。
初めて絵を見せてもらったときは
こんな趣味があったなんて聞いてなかったので
「えっ!この絵全部、叔父さんが」って
びっくりしたものですが、80歳をだいぶ
超えた今も、元気で続けているようです。
群馬県太田市をあとにして
兄と埼玉県深谷市のホテルに戻りました。
100回目のにころ山 [仁頃山]
しばらく旅の話が続いたのでちょっと一休み
よく考えてみたら、フェリーの予約したときから
旅の話ばかりなのでもうすぐ2カ月になりますね。
「いつまでやってるの~」なんて叱られそうですが
死ぬまで続けるわけでもないのでそのうち止めますから
さて
6月に入ってから、ずーっと天気が悪くて
昨日やっと待望のきれいな青空になりました。
さっそくにころ山に行ってきましたが
旅行があったり悪い天気が続いたりで
にころ山に登るのは、じつに4月29日以来
今年はまだ、たったの2回目だったのです。
登山するのも、旅の途中で登った
新潟県南魚沼(六日町)の坂戸山以来でした。
中央に見えるのが
北見市民の山・にころ山(仁頃山829m)
冨里湖もすっかり新緑の風景になっていました
保守点検のためのクルマが通る車道があるんです。
この道を登るといろんな人たちと
会えるので、いつもこの道を登っています。
知り合った人たちを見ては立ち話をしました。
1年中登ってる70歳くらいのご夫婦が二組。
たまぁに出合う70代半ばのご夫婦。
年に3~4度も本州の山に行くという
うらやましい身分と体力の、私よりも少し年上の男性。
この日が初めてという
網走から来た70代半ばのご夫婦。
ここに登る60代70代はみんな元気です。
土・日になると若い人たちも登るし、最近はカラフルな
「シマシマのタイツ」をはいた山ガールも登るんです。
登ってくる山ガールがいたんですが
「こんちは~」と言ってから顔を見てびっくりしました。
タイツはシマシマ、顔はシワシワ
「なんだ紛らわしい、自分と同じ年か」
頂上から、さっきの冨里湖や阿寒の山が見えます
その後56歳のときから、にころ山に登り始めて
この日がちょうど「にころ山登山100回目」でした。
これからも
気が向いたときにのんびりと登って
80歳になる頃には「にころ山300回」くらいに
なればいいなぁなんて思っているんです。
7話・赤城山 [信州ドライブ旅行]
私達の年代や上の年代の人達が子供のころ
誰もがラジオか何かで一度や二度は
聞いたことがあると思いますが
講談や映画・芝居でお馴染みだった国定忠治。
「赤城の山も今宵限り・・・」
我が家を出発してから6日目
5月22日・赤城山を楽しみました。
この日は、山や地理に詳しい兄が一緒のうえ
移動する距離も短いので、のんびり朝7時半
二人で深谷市のホテルを出て赤城山に向かいます。
ちょうど朝の出勤時間帯で
クルマの混雑が激しい高崎や前橋を通り
しばらく走って赤城山の大沼に着きました。
カルデラ湖・大沼(10時半)
山ではなく、たくさんの山の総称をいいます。
いちばん高い山は黒檜山(くろびやま・1828m)
2番目に高いのは駒ヶ岳(1689m)ですが
まだ旅の途中で無理もしたくなかったので
3番目に高い地蔵岳(1674m)に登りました。
地蔵岳頂上(1674m)
この山は登山口からの標高差もそんなにありません。
遠足のコースにもなっているようで
この日は小学生の団体が2校ほど遠足に来ていました。
下山後、昼食のために
クルマで食堂のある大沼まで移動します。
大沼から見た地蔵岳
腹いっぱい食べてさっきの地蔵岳の近くの
駐車場まで戻り、二つの山を縦走しました。
(縦走なんていうとだいぶ大袈裟なんですけど)
長七郎山(1579m)頂上
午前中に登った地蔵岳が見えます
小地蔵岳(1574m)
ここは、ほとんど展望はありません
このオレンジ色はレンゲツツジ。
レンゲツツジがたくさん咲いて有名なところのようです。
見晴山を最後に赤城山から北上
この日の宿泊地・沼田市に向かいました。
途中、大きな峠を越えて沼田市が近くなったころ
田園風景の向こうに素晴らしい山が見えてきました。
助手席の兄は
日本百名山を10年以上前に全部登り終えていますが
「この谷川岳が大好きで10回以上は登っている」と
いうほど、山姿ばかりでなく魅力のある山のようです。
道端のポピーと谷川岳
この日の宿泊地・沼田市に着きました。
このあたりは
21年前に通っているんですが
あのときは関越自動車道を走ったので
沼田市の街を見ることは出来ませんでした。
ときどき昔話に出てくる父親を乗せて
北海道に帰るときに通っているのです。
上田・小諸・佐久の街を走り抜け、碓氷峠を通って
安中・渋川、そして沼田市に到着後日光に向かいました。
5時前
兄と沼田市のホテルにチェックイン。
42年ぶりの沼田市に感無量でした。
8話・沼田から南魚沼 [信州ドライブ旅行]
5月23日
旅に出てから6日目・信州や群馬の目的地を
周り終えていよいよ帰り道、新潟港に向かいます。
朝の6時頃
沼田駅で兄と別れ、兄は東京行きの電車に乗り
私は国道17号線を新潟方面に向かいました。
やがて山道に入り、猿ヶ京温泉を過ぎ
カーブの連続をぐんぐん登ると、群馬と新潟を結ぶ
一般道唯一のトンネル「三国トンネル」に入りますが
完成してからもう55年という古いトンネルで
現在、新しい三国トンネルを計画中のようでした。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
トンネルを出ると越後の国・新潟県
少し走るとスキー場と温泉の湯沢町に入りますが
ちょうど1~2年前、川端康成の「雪国」を
何十年かぶりに読み直してみたところでした。
あの主人公は、国鉄の汽車に乗っていたので
清水トンネルを通って湯沢町に着いたのですが
私は国道のため三国トンネルを通って湯沢町に入りました。
「雪国」の舞台になった湯沢町に到着
さらに北上
南魚沼市の塩沢に着きました。
看板を見て面白そうなところ見つけたのですが
寄ろうと思ってるうちに通り過ぎてしまい
道路脇の米の販売会社の前で地図を見ていたら
事務所の中から事務員さんが出てきました。
「どうしたんですか」
いろいろ訪ねていたら
今度は社長さんらしい男性が出てきて
社長さんは北海道が好きだと言うことで
コーヒーをいただきながら、少し北海道の話を
してから、いろいろ見どころを教えてもらいました。
そのひとつは
先に看板を見て面白そうだと思った、江戸時代の
三国街道塩沢宿を再現した「牧之(ぼくし)通り」
私も初めて知ったのですが、牧之とは
雪国文化を世に知らしめた越後国魚沼郡塩沢出身の
商人でもあり随筆家の鈴木牧之のことだそうです。
牧之が雪深い越後国から行商で江戸へ訪れたときに
いくら雪国越後の話をしても、暖かい江戸に住む人達には
異国の話のようで理解してもらえなかったそうですが
その後10年かけて豪雪地帯の生活や文化などの
様子を綴った「北越雪譜」は江戸時代後期の
ベストセラーになったということでした。
南魚沼市塩沢・牧之通り
ここは大急ぎで見物してきました。
なぜならば、親切な社長さんに
「山景色を楽しみたいのなら
近くの六日町に、NHK大河ドラマの舞台にも
なった歴史のある、とても素晴らしい山がありますよ。」
なんて
予想外の嬉しい情報を聞いていたので
早く山に登りたくてウズウズしていたんです。
山の名前は坂戸山といいました。
ここでクイズです
2009年・越後の国を舞台にした
NHK大河ドラマの名は・・・
そしてこの六日町の坂戸山を中心とする城下で
主人公と主人公の仕えた殿さまが生まれたそうですが
その城の名は・・・
テレビはニュースと天気予報と笑点以外は
ほとんど見ないので何も知りませんでしたが
親切な社長さんのおかげで
この城の本丸があった山を登ることになりました。
9話・南魚沼から北見 [信州ドライブ旅行]
5月23日・坂戸山登山のあと三条市に宿泊
5月24日・フェリー(新潟~小樽)に宿泊
5月25日・北見到着
5月23日
この日は
沼田市から宿泊地三条市まで、ただ走りながら
山景色を楽しむだけの少し物足りない予定の
道中でしたが、塩沢の米の販売会社の社長さんの
「山景色を楽しみたいのなら
近くの六日町に、NHK大河ドラマの舞台にも
なった歴史のある、とても素晴らしい山がありますよ。」
という言葉に嬉しくなってしまい
急いで六日町まで走り、坂戸山の麓に着くと
たしかに城下町らしい雰囲気がしていました。
坂戸山付近はNHK大河ドラマ「天地人」の
舞台のひとつで、ドラマの主人公「直江兼続」と
主人公が仕えた「上杉景勝」が生まれたという城下。
坂戸山の頂上には越後の国を守るうえで
最も重要な坂戸城下の本丸などがあったそうです。
この坂戸山は魚沼市民の山として人気があるうえ
土曜日だったのでたくさんの人が登山をしていました。
歴史の話を詳しく知ったのは登山の後になりましたが
思わぬところで
歴史ある南魚沼市民に人気の坂戸山に登れることに
なったのが嬉しい気持ちと、たかが634mの山だから
一挙に登れるだろうと思って最初から飛ばしました。
ところが
木の階段で急登のために階段の段差も大きく
おまけにカンカン照りで暑いのに、飛ばしすぎました。
急登のために途中に休憩するところもありません。
辛くなったし、時間もたくさん余裕が
あるわけでもないので5合目で引き返そうと思って
下って来る人に「5合目はまだまだ先ですか」と聞いたら
「もうここは8合目ですよ。
もう少しで頂上だから頑張ってください。」
それを聞いたら気力・体力はすぐに回復
また急いで登って
頂上につきましたが素晴らしい眺めです。
坂戸城の本丸があった坂戸山の頂上
(麓からの高低差470mは国内の山城では一番だそうです)
新潟はただ素通りするだけと考えていましたが
あの社長さんにおしえていただいた
「牧之通り」を見物したり、「坂戸山」に登ったり
塩沢と六日町の南魚沼市の滞在は予定外の出来事でした。
こうして
楽しい時を過ごした南魚沼をあとにして
本州最後の宿泊地・三条市まで走ります。
途中、長岡市を通過
40年以上昔、一度だけ市内を走った覚えがありますが
街から離れたところに、広くて立派なバイパスが
出来ていたので街の様子を見ることはできませんでした。
道に迷いながらも三条市のホテルに着きました。
ホテルはほとんどネットで調べて予約しておいた
安いビジネスホテルばかりでしたが
どこのホテルも口コミどおり、いいホテルばかりで
このホテルも4,300円と安かったのですが
国道からもすぐ近く、新幹線・燕三条駅前
まだ新しくきれいなホテルでした。
左側の13階建てのビルが宿泊したホテル
8階の部屋の窓から、すぐ近くに燕三条駅が見えます
上の写真
駅の上の方に山が見えるでしょう
あの山は有名な弥彦山なんですが
なんという偶然
これは後で知ったのですが、いま登ってきた
坂戸山とまったく同じ標高634mだったのです
ホテルの部屋から見た夕焼けと弥彦山が
とてもきれいで、いつかまた新潟に来ることがあれば
そのときもまたこのホテルに泊まりたいと思いました。
5月24日 朝
40キロほど走り、新潟市のフェリー乗り場に到着
本州ともお別れ
5月25日昼
北見の我が家に到着。
8泊9日のクルマの旅も終わりましたが
次の日からどーっと疲れが出てしまって
5日ほど体調の悪い日が続いてしまいました。
「山景色を眺めながらのんびり旅」
の予定でしたが、張り切り過ぎて
オーバーヒート寸前だったようです。
こんどクルマの旅に出るときは
少しは自分の年も考えなければと反省しました
お・し・ま・い
君の瞳は10000ボルト? [日記雑感 15年]
今朝は
2時半ころに目が覚めてから寝つけなくなりました。
こんなときはNHKの「ラジオ深夜便」を聴いてると
また眠れるんですが、今日の2時の洋曲はクラシックでした。
スイッチを入れるといきなり
あの賑やかな「ペルシャの市場にて」が流れます。
もうすっかり目が覚めてしまいました。
3時からの歌謡曲は「堀内孝雄」でした。
今日のアンカーを務めた女性アナウンサーが
下調べも不十分のためか
つっかかりながら話をしてたんです。
そのうちあの有名なヒット曲を自信なさそうに
「君の瞳は10000ボルト」なんて言いだしました。
と思ったのですが、調べてみたら
アナウンサーのいうとおり「10000ボルト」でした。
だんだん、記憶もあいまいになってしまうものですね。
しかし堀内孝雄のブログを読んだら
当時もよく10,000と100万と間違われていたようです。
そういうことで4時前から起きだして
パソコンに向かってしまいました