アンパンマンが観たいよ! [孫]
我が家にはだいぶ古い頃には
ビデオデッキがあったのですが、いつからか
ビデオやDVDを観るものがなくなっていました。
今どきDVDのレコーダーや
プレイヤーのない家庭も珍しいと思います。
テレビを熱心に観るわけでもないので
ビデオやDVDなどは必要なかったのですが
この前、たった一人の大事な孫(2歳半)が
遊びにきたとき半べそをかいたんです。
「アンパンマンが観たいよ~」
「アンパンマンを観れないから
プー太の父じいちゃんの家に行きたくない」と言われたら
困るので、さっそくケーズ電器に行って買ってきました。
もちろんソニーですよ。
ソネットにはお世話になってますから。
クルマの保険だってソニー損保に入ってるんです
ああ!そんな話どうでもよかったですね
「ももたん早く遊びに来いよ~」
これがペナントレース? [日記雑感 15年]
激しい首位争いが続いているセリーグですが
先日の新聞を見たら
とんでもないことになっていました。
セリーグ全球団が
勝率5割を切るという大珍事
いくらパリーグに弱くて
セ・パ交流戦で負けが多かったといっても
こんなことは誰も予想しなかったでしょう。
まぁ最近はあまりプロ野球に興味も
なくなってしまったのでどうでもいいことなんですが
子供のころは、ラジオのスイッチを入れると
野球しか放送していないので夢中になったものです。
ラジオの野球中継に夢中になりはじめたのは
長島が巨人に入団して2年目の昭和34年のころ
まだ小学4年生のときでしたが、巨人の長島が
打席に入るとすごい声援で盛り上がりました。
ですから嫌でも長島ファンになってしまいます。
対戦する相手球団も巨人3連戦には
エースやエース級ばかりをぶつけてきます
長島デビュー戦に4三振を奪った国鉄の金田。
天覧試合に長島にホームランを打たれた阪神の村山。
中日にはたった2年間で65勝した権藤と
引退後にはテレビでも大活躍した坂東英二。
みんな巨人相手になると闘士満々でした。
あ~あ
55年前、セリーグのあの熱気が懐かしい
やっと真夏日・藻琴山 [藻琴山]
2日連続真夏日
待ちに待った夏が来ました
5月までは暖かかったのですが
6月はすっかり天候不順になり、7月に入っても
朝晩はときどきストーブを使うくらい寒い日が多く
もう今年の夏は終わったのかと心配していました。
それが突然暑くなり、この日で3日間
オホーツクブルーの快晴の空が続いています。
ちょっと夏風邪気味ですが、またいつ
寒くなるかわからないので悔いの残らないように
夏を楽しもうと思って、前日のにころ山に続いて
久しぶりに藻琴山(もことやま)にも行ってみました。
藻琴山(標高1,000m)
北見の我が家からわずか65キロ、1時間ちょっとで
行ける距離なんですが、すっかり遠ざかってしまって
実に9年ぶり4回目の藻琴山登山となりました。
それにしてもいい天気です。
気持ちがいいので、ついついカーステレオの
音量も大きくなってしまいますが、曲はもちろん
青春時代1970年前のポップスやロックばかり。
マイナーな山だからと思ってのんびり出かけたのですが
駐車場に着いたらクルマがびっしり、登山姿の人もいっぱい。
もう2~3台の駐車スペースしか残っていませんでした。
さっそく登山開始
最初は結構きつい登りなんですが、まもなく
屈斜路湖が見える頃には登りも緩やかになります。
屈斜路湖(クッシャロコ)
頂上まで絵葉書のような風景が続きます
遠くに、富士山のような姿の雄阿寒岳
右端に雌阿寒岳の百名山コンビも見えます。
見かけたので 混雑する前に下山開始します。
子供も多かったのですが、若い人から高齢者まで
藻琴山がこんなに混雑するのは初めてのことで
とくに若い山ガールの姿が目立ちました。
斜里岳(中央の山)もすぐ近くに見えます。
短い夏(たぶん)を楽しもうと思って
缶ビールとコンビニ弁当を持ってきたので
斜里岳の見える、このへんで昼食の場所を探していたら
知人にバッタリ会ってしまいました。
つい1時間ほど前
頂上付近で少し立ち話をしただけの女性なんですが
またいろいろと立ち話をしているうちに腹がペコペコ。
結局は、雄大な景色のなか
一緒にランチタイムを楽しむことになりました。
許可を得て後ろ姿だけ
この方は、クルマの一人旅で
東京から下北半島の大間まで走ってきて
それから道内をあちこちクルマでのんびり
まわっているとのことですが、やっぱり
山が好きなので山登りになってしまうようでした。
それにしても東京から大間まで走り
広い北海道をあちこち見ながら道東まで
来るなんて、すごく長い距離を走ってきたものですが
道の駅で買ったという、きゅうりや美味しい豆腐を
ビールのつまみにいただいてしまったり
なにか自分も旅をしているような気持ちになり
楽しいランチタイムを過ごすことができました。
この日(11日)の北見の気温は
平年より9.5度も高い32.9度まで上がりましたが
今日の予想気温は31度と3日連続の真夏日になりそう。
今日はまた「にころ山登り」に
行こうかと朝早くから迷っていました。
明日からまた雨の日が続きそうなんです
北見の薄荷 [日記雑感 15年]
ミントの香りただよう街・きたみ
上のカッコイイ文句は
若いころ自分が考えたのですが
ここ北見のハッカは
昭和15年前後の最盛期には世界市場の70%を
占有したほどの世界ブランドだったそうです。
その後は輸入自由化や合成ハッカの台頭によって
減反と転作が進み、昭和58年には道内唯一の
北見ハッカ工場の歴史に幕を下ろされたのですが
いまは「北見ハッカ通商」という会社で製造販売されています。
先日
にころ山の常連さんと立ち話をしていたら
「虫除けスプレーはあまり効かないけど
北見のハッカスプレーはよく効きますよ~」
ハッカに虫除け効果があるって
聞いたことはありましたが、使用している本人が言うので
これは間違いないだろうと思ってさっそく買ってみました。
スプレー付きもスプレーなしも同じ値段でしたが
3倍の量が入ったスプレーなしの瓶入りを買って
スプレー空容器だけダイソーで買いました。
「ハッカ」や「ハッカ油」で検索すると
ほとんどのサイトでこの北見のハッカ油が
出てきますが、いろいろ口コミなどを読むと
世界一でなくなった今も評判は日本一かと思います。
しかし、地元で買うよりもアマゾンで買う方が
安いんですよ。おまけに送料無料
どうなってんだべぇ~
雌阿寒岳・10回目 [雌阿寒岳]
一昨年以来久しぶり
10度目の雌阿寒岳(めあかん)に登ってきました。
エメラルドグリーンの神秘の湖・オンネトー
左・雌阿寒岳(1499m)右・阿寒富士(1476m)
駐車場では本州各地のナンバーの車が見られ
いよいよ北海道の夏山も賑やかになってきた感じです。
今日もいろんな人たちと立ち話をしました。
熊本から来たご夫婦、山口から来たご夫婦
新潟から来た3人連れの男性グループ。
みなさん60代か70代始めの年齢かと思いますが
「この山は急な山ですね~」と言いながらも
広い北海道を山登りしながら旅を楽しんでいるようでした。
頂上からすぐとなりに阿寒富士
雌阿寒岳は10度目でも阿寒富士は1度登っただけ。
あの山はズリ山のようで大変なんです。
2歩登っては1歩後退なんて気分なので登るのが嫌になります
雄阿寒岳が見えますがあちらも1度しか登っていません。
やっぱり雌阿寒岳が一番好きなんです。
「日本百名山」を書いた深田久弥がやってきたとき
雌阿寒岳は火山活動が活発で入山禁止のために
雄阿寒岳しか登れなかったようですが、その後この
数十年のあいだにやはり何度か入山禁止になっています。
景色もいいけど一番の楽しみはやっぱりこのとき
以前は見られなかったことですが
こんな山の上までも、中国人だか台湾人だか
たくさんの若い外国人たちが押し寄せていました。
「爆買い」の次は「爆登り」かと心配になります。
それにしても道外ナンバーのクルマの多いこと
やっぱり「日本百名山」ですね~
巨大扇風機 [巨大扇風機]
全国的に猛暑が大暴れ
病院に搬送される人が続出
ついにお父さんの怒りが爆発しました
「猛暑なんて吹き飛ばしてやる~ぅぅぅ」
灼熱地獄から日本を救うため
お父さんが立ちあがりました。
そしてついにナショナルや東芝よりも早く
100万馬力の巨大扇風機の開発に成功。
ボクとお父さんが、熱風が吹き荒れるなか
この巨大扇風機を「にころ山」頂上に設置を終えました。
すぐに運転を開始
今から南に向かって
オホーツク海の涼しい風を送ります。
暑いの暑いの飛んでけ~っ
スイッチ・オ~~~ン
「ウワーっ涼しい大成功です」
だんだん寒くなってきました。
「お父さん寒すぎるよ~」
ついに雪も降ってきました。
運転失敗
設計ミス・強力過ぎて
北極の冷たい空気を呼び込んでしまったようです。
これ以上雪が積もったら大変、急いで下山開始します。
大河ドラマ「天地人」を観ました [読書]
2か月前の旅の途中で登ってきた南魚沼の坂戸山が
2009年のNHK大河ドラマT天地人」の発祥の地だと
知って、図書館からたくさん本や雑誌を借りて読みました。
そして昨日、2か月近くかけて「天地人」を
ユーチューブで全47話を観終えたところです。
下は塩沢の米屋の社長さんからいただいた
大切な思い出のパンフレットですが
南魚沼市の六日町駅から僅か1.6キロという
近いところに、NHK大河ドラマ「天地人」の
舞台のひとつ坂戸城があった坂戸山の登山口があります。
どうせならと思って、南魚沼塩沢・牧之通りで知った
鈴木牧之の「北越雪譜」も読んでみました。
こうして旅が終わった今も楽しめるのは、すべてが
南魚沼の塩沢で出会った米の販売会社の社長さんのおかげ。
あのとき社長さんに出会わなければ、南魚沼の街も
素通りで越後の歴史も坂戸山も知らないままでした。
本当に感謝です