今日から2~3回、豊田市やトヨタ自動車工場の昔話をしたいと思います。
その当時の豊田市、人は男性の若者が多くクルマもたくさん
走っていましたが工場の街の雰囲気が強く、田舎者の私が
言うのも可笑しいのですが、なんとなく田舎くさい街でした。
私にとっての豊田市は働いて食べて寝るところ・・・
そんな程度しか思いつかなくて、思い出に残ったのは
豊田市を拠点にしてあちこち走り回った先のことばかりです。
そんなことなので昔話は
豊田市の記事を書くのが後になってしまいました。
豊田市の駅前大通りを写したカラー写真
すっかり色あせていますが、駅前の大通りで七夕の頃かと思います。
この近くにあった中華料理のレストランで
たまぁに少しだけ贅沢な食事を楽しんだことは覚えています。
当時の駅前大通り
商店街に入ると、どこを歩いても細くてカーブした道が多く
郊外も街の中も直線道路ばかりの北海道から出て行った私には
珍しい街の様子で、城下町のような雰囲気でした。
思い出と言ったらとにかく暑かったことばかり
真夏でも海からの冷たい風が吹く日は
夕方からストーブを点けるくらい涼しい故郷から
出て行った私には、豊田市の湿度の高い夏は強烈なものでした。
九州や沖縄から来ていた人達も
豊田市のほうが湿度が高くて暑いと言ってたのです。
あの頃、トヨタの工場の中は業務用の大きな扇風機をあちこちに
置いていましたが、真夏の暑いときに私はよく
扇風機のスィッチを切って仕事をしていました。
工場の中の空気が暑くなってるので
扇風機を回すと熱風になって襲ってくる感じなんです。
ネットで最近の豊田市の気温を調べてみたら
35度~37度くらいの日が結構あるので、当時もそのくらい暑かったのか
工場の中は窓や大きな扉は全開でしたが、機械の熱や窓から日が
差したりするのでかなり高温になっていたと思います。
水ばかり飲んで塩分不足に
なるのを防ぐために塩を置いてた職場もありました。
ただの夏風邪だろうと思ってトヨタ病院#58982;に行ったら
急性腎炎なのですぐ入院しなさいということで
人生ただ一度の入院(2週間ほど)も経験しました。
しかし体調も良くなるとまた元気に走り回ります。