昔話 自転車旅行 第1話  1968年(昭和43年9月)

前回
国鉄の列車で愛知県から旭川まで
往復した話をしましたが、今回はその1カ月後
愛知県から箱根峠を通って伊豆まで自転車で
走ったことを思い出しながらチラッと書いてみます。

 
上の写真の黒い箱(黒い玉手箱?ガラクタ入れ?)の中に
その時の思い出になった古い写真が2枚入っていました。
 

このサイクリングは
夏休みを利用して行ったのかと思っていましたが
写真の裏を見ると、昭和43年9月と書いてありましたので
9月にまとまった連休があったと思われます。

連休に入る直前に、友人が退屈なので自転車で
どこかへ行こうと誘いがあったので即決まったこと。
まったく無計画、走れるところまで
走ろうというサイクリングだったのです。

それでは昔話を始めます

1968年(昭和43年9月) 私が18歳か19歳のとき

出発して間もなく、反対側から走ってくる
自転車に乗ってる人がこちらに手を振るので私と友人が
誰なんだろうと、きょとんとして顔を見合わせました。
次に出会った自転車の人もこちらに向かって手を振ります。

ここでようやく二人とも
ああサイクリング同志の挨拶なんだと気がついたのです。
そんなマナーも知らないで、最初の人には失礼してしまいました#59124; 

浜名湖も過ぎたあたりから
私は疲れてきて少しずつ友人が先に先にと走るようになります。

友人は高校時代からマラソンの選手だったようで
その後も毎日のように走りこんでいましたが、私は短距離は得意なのに
マラソンは苦手でいつもビリのほう、こういうときにその差が出てきます。

やがて浜松あたりから足もつって大変でしたが
とにかく泣き言を言ってられないので、遅れながらも走りました。

自転車というとのんびり走るイメージですが
休憩もろくにとらないでとにかくビュンビュン走るだけです。

自転車にスピードメーターが付いていたのですが
下り坂になるとすごいスピードが出て、時速60キロくらいになると
怖くなるので、ブレーキをかけながら走ったのを思い出します。

何も考えてるヒマのないハードなサイクリングでしたが
そのときに通過した掛川市、島田市、藤枝市など一番辛かった
コースにあった地名は今も忘れたことがありません。
あちこちにお茶の畑があったので、お茶の香りがした覚えがあります。

 

それがお茶畑なのか
お茶の工場だったのかも覚えてませんが
とにかく気持ちがほっと一息できるような香りでした。

そんなひどいサイクリングも、夕方になって
ようやく一泊目のテントを張って無事に終わります。

そのときのキャンプ地は静岡県清水市の三保の松原でした。

 

1968(昭和43)年9月・三保の松原で

地図ソフトで距離を調べてみると
この一日で180キロ以上走ってるので
北海道でいうと、北見から旭川を超えて
深川あたりまで走った距離になります。

(参考ですが、毎年行われるオホーツクサイクリングは
雄武町から斜里町まで1泊2日で212キロを走行します。)

名古屋の近く岡崎市から国道1号線に入り
静岡市を過ぎてから、清水市で国道1号線を出て
一泊目の三保の松原に向かったようです。

国道1号線(旧東海道)は東京と大阪を結ぶ日本の大動脈。

おまけに炎天下の強行サイクリングで疲れきってしまって
ふらふらしながらテントを張った記憶があるのですが
あの有名な三保の松原や富士山を見た記憶もなにも残っていません。

そんな風景なんか楽しむ余裕のない一日目でした。

 2日目

一晩寝ると体力も足も回復、清水市内に戻ってまた国道1号線に入り
駿河湾を富士市、沼津市と走り、そしていよいよ三島市に到着。

三島市に着いてまもなく緩く長い坂道を見たときに
今までになかった緊張感を感じたので忘れられないところです。

いよいよ箱根や熱海が近くなった嬉しさ
そして1号線最大の難所、箱根峠が待っています。

箱根峠は私のブログタイトルの
仁頃山(829m)より少し高い標高846mもあるのです。

サイクリング旅行の1回目終わり