黒い玉手箱 (愛知県在住の昭和43年4月~昭和48年7月までの話)

この箱に入っている古い資料や写真をもとに、若いころの思い出を語ります

黒い玉手箱シリーズで、愛知県に住みついた年に自転車で伊豆大島旅行
そして車の免許を取得したところまでお話しました。

そのあと中古のクルマを買ってあちこち走り回りましたが、今回は何度も行った
伊勢湾岸沿いの三重県、一度だけの和歌山県のことを思い出してみます。

当時愛知県から三重県に行くのに

よく走った道路が名四(めいし)道路

この通行券は昭和47年のものですが

その2~3年後に無料になったようです。

愛知県から三重県に入ると桑名市です。

桑名市長嶋町には長嶋温泉や国内では

ディズニーランドの次に広い敷地面積の

大型テーマパーク

ナガシマスパーランドがあります。

一度しか行ったことがなかったのですが入場券を保管していました。

 

桑名市の次が四日市市

日本4大公害のなかで、唯一大気汚染で多くの人達が苦しんだ街

四日市を初めて通ったとき国道から見たものは
高い煙突や無数の太いパイプや細いパイプのある大きな工場
(いま思い出してみると毒ガス製造でもしてるような雰囲気の工場でした)
茶色に錆ついたような民家の屋根や建物
街全体が茶色になってるような印象を受けたのです。

車の中にいても息苦しい気持ちになったのですが
公害の街としての四日市が、強く頭に残っていたので気のせいかもしれません。

最近の四日市の工場群(ネットから借用)

初めてこの街を通ったのは、私が19歳だった1969年(昭和44年)1月ですが
このときはまだ原告の喘息患者と被告のコンビナート企業6社の裁判中で
原告側勝訴の判決が出たのが1972年でした。

私には錆ついてたように見えた街に、多くの人達が喘息で苦しんだり
子供達が亡くなったり、また自殺した患者もいたのです。
本当に大変な歴史のあった街なので
あのとき通った異様な街の様子が忘れられません。

もしも夜に通っていたら
不夜城のように灯りがいっぱいの工場の巨大煙突から
大量の毒ガスが四日市の街に吐き出される気味悪い光景だっと思います。

なお三重県の県庁は津市ですが
工業や経済そして人口と四日市が三重県の中心都市のようです。

ほんの少しの通過時間なのに思い出に残った四日市市から南下

鈴鹿市、津市、松坂市

四日市市は忘れられない街ですが
この3市の思い出はまったくないのです。

鈴鹿市と言えば鈴鹿サーキットが有名ですが当時の若者には珍しく?
私はクルマのレースなどモータースポーツには興味がなかったのです。
津市は「つ」という一文字の地名で三重県の県庁所在地という程度。

さらに南下すると伊勢市

小学生のとき日本中が切手ブームになり

私もいろんな切手を収集していましたが

オホーツク海の砂浜しか知らなかった私には

すごく不思議な風景に見えて

いつか見てみたいと思っていたところ。

そこは伊勢市二見町二見浦(ふたみがうら)です

夫婦岩 (1969年1月:撮影プー太の父)

上の写真はたまたま偶然に切手と同じような所から写していました。

この日は曇っていて寒い日でしたが、この風景を見たときは感無量でした。

それから伊勢志摩スカイラインや伊勢神宮などを見物

 

伊勢志摩スカイラインの景色は
それまで見たことがない絶景で、いつか自分が結婚したら
新婚旅行は絶対ここにするんだと思ったほどの素晴らしい景色でした。
でも現実にはその7年後新婚旅行は宮崎に行ってしまいましたが。

 

この風景が気に入ってしまって

その後2度か3度行ってるのですが

この領収書はその3年後

昭和47年3月となっています。

その当時500円だった通行料金は

現在は1,220円になってるようです。

でもこの絶景を見たならば

通行料金が高いなんて文句は言えません。

伊勢神宮参拝もしましたが
1月だったのですごい人で大渋滞。

参拝するのに並んで少しずつ前に
歩いてるのですが、頭の上からお金が降ってきます。
後ろから賽銭箱をめがけてお金を投げ入れてるのでしょうけど
賽銭箱に届かないで、途中の人並の中にお金が落ちてしまうのです。

そして和歌山県にも行きました。

何度も行った三重県のことは思い出すのですが
和歌山県には一度しか行ったことがなく、覚えているのは
那智の滝、クジラの街太地町、本州最南端の潮岬などですが
写真も資料もなく記憶も薄れ、記事に書くことができませんでした。

潮岬(ネットから借用)

ただ太地町を通った時には
クジラのモニュメントを見て初めて捕鯨の町と知り、潮岬に行ったときには
本州最南端の碑を見たので、そこが最南端と知ったような記憶があります。

黒い玉手箱、今回は三重と和歌山の思い出でした