黒い玉手箱(愛知県在住時代の昔話)

前回は飛行機で帰省した思い出話でしたが
今回はクルマで2度目の帰省をした思い出を書いてみます。

22歳の時、中古のカローラから新車スプリンターに乗り替えました。

当時トヨタのカローラスプリンターは、若者をターゲットにして
日産サニークーペと激しい販売合戦を繰り広げていましたが
そのカローラスプリンターからカローラという名が消えて
スプリンターとして独立しました。

下の写真はそのときの私のスプリンターですが
たしか値段は50万ちょっとだったと思います。

写真をスキャンしたら紺色になってしまいましたが
実物はもう少し薄い色で、紫がかった綺麗なブルーだったのです。

愛車スプリンター1200cc(帰り道岩手県で)


1972年7月30日

夏休み前最後の仕事が終った日の夜、豊田市を出発。

あのときは早く日本海側に出てしまいたいと思ったのか
長野県を通らないで岐阜県を北上します。

夏休みに入ったとは言っても、真夜中の山の中の国道は
すれ違うクルマも少なく、気持ち悪いくらい静かで寂しいものでした。

暗闇の中、前方にダムの灯りが見えてホッとしたときに

当時ヒット中の朱里エイコの北国行きでがカーラジオから流れてきました。

愛する人に別れも

告げずにさよならして

次の北国行きの

電車が来たら乗ってしまうという

疲れた愛に

サヨナラしようとする歌だったのですが

ちょうど真っ暗闇の山の中を北国に向かっていた走っていた私は
気持ちも高ぶっていたせいか、すごく感傷的になってしまった曲でした。

ほとんど休憩も取らないで走り続け、富山県に入ったときには周りも
明るくなり、黒部川と書いてあった大きな橋を渡ってから眠気が襲ってきました。

仮眠のため道路脇にクルマを停めました。

そして山の方を振り返って驚きました#59140;巨大な山の風景だったのです。

地図で確かめたのですが、たぶん剱(つるぎ)岳など立山連峰かと思いました。

その頃は登山などまったく興味がなかったのですが
山の風景には異常なくらい関心があったので、今もあのときの
巨大な感じの山の風景が忘れられないで脳裏に残っています。

立山連峰(ネットから借用)

余談になりますが

3年ほど前にそのときの迫力ある

立山連峰の景色を期待して

映画、剱岳・点の記を観てきました。

期待した迫力ある山景色は

あまり見れなかったのですがとてもいい映画でした。

7月31日

さて少し仮眠をしようと思ってクルマを停めたのですが全然眠れません。

またすぐに走りだして新潟に向かいますが
途中で長い時間ずーっと私のクルマの後ろについてくるクルマに気が付きます。

信号で離れてもまた次の信号待ちで一緒になったりして
何時間も後ろについてきました。

ルームミラーで相手の顔を見るとやはり私くらいの年齢で一人旅のようです。

何時間も一緒に走ってるともう他人のような気がしません。

そのうち私から離れてしばらく見えなくなったので
もう会えないだろうと思ったら、またまた追いついてきたんです。

私もすっかり嬉しくなって、窓から手を出して後ろのクルマに手を降りました。

後ろのクルマの男性も
また追いついたよ~という感じでニコニコ笑顔で手を振っています。

何時間も一緒に走ってたのですが、いつか本当に
見えなくなったときには寂しくなりましたが、そのうち新潟市に着きます。

田舎の親も心配してると思って郵便局から電報を打ちました。

イマニイガタニツイタ#58974;

山形県に入った頃、買って間もない愛車が急に調子悪くなって
アクセルを踏んでも全然スピードが出なくなってしまったんです。

仕方がないのでトヨタの販売店を捜しながら
のろのろと走り続けたら山形県酒田市に入りました。

トヨタの販売店で修理をしてもらってまた出発

酒田市を北上して間もなく秋田県が目の前になったころ
鳥海山スカイラインという道路標識が立っていたのが記憶にありました。

変わった名前の山だったので覚えていただけですが
鳥海山が日本百名山のひとつの有名な山だったと分かったのは
登山をするようになった50歳になったころです。

鳥海山(ネットから借用)

 

秋田市も近くなったころには
夕方になっていたようですが田沢湖を見るために
日本海と別れて岩手県の盛岡市方面に向かって走ります。

途中で暗くなり、しかもほとんど寝てないのでどこかの山中
クルマの中で2晩目を過ごすことになりました。

第一話おわり

あと書き

記憶を頼りに出来るだけ正確に書こうと思っていますが
41年も前の昔話なので100%とは言えなくて
事実と若干の誤差はあるかもしれません。

でもそのときに感激した風景や出来事は
間違いなく今もはっきり記憶に残っているのです。