黒い玉手箱
(愛知県在住時代の若いころの思い出話) 

2年間に渡って書いてきた40年ほど前の思い出話ですが
最後は、愛知県から北海道に帰る様子を思い出しています。

すっかり記事更新が遅れてしまいましたが
41年前の私のバックに写っていた「剱岳」だったら・・・と
思っていたこの山の名前が、親切な方からのコメントのおかげで
黒部別山(くろべべっさん)と分かりました。


さらに今日(日曜日)の夕方、またいろいろ調べてみたら
まったく同じようなところから写した写真が見つかりましたが
有りがたいことに、写真を無断で使用してもいいということでした。
もう疑いの余地のないまったく同じ山です。

この山の正式な名前は黒部別山南峰(標高2300m)
(フリー写真素材集から借用)


山景色が異常なくらい好きな私にとって、山の名前が分かることは
嬉しいことですが、この山は41年前にたまたま私と一緒に
写っていた縁のある山だったので余計嬉しいことでした。

見知らぬ方からのコメントで、この「黒部別山」の名前を知り
あらためて、ネットって有りがたいものだな~と思った次第です。

(詳しくは前回の黒部ダムの記事の最後やコメント欄をご覧ください)

よく見比べると「剱岳」の方が標高も高く
スケールも大きいのですが、それでも北海道の最高峰
大雪山系の「旭岳」よりも高く険しい立派な山のようです。


それでは疑問も晴れたところで
前回の記事黒部ダムの続き第6話を始めます

 

愛知県を出発して、妻籠、馬籠、上高地、松本城
そして黒部ダムを見た後は、松本市の方まで戻りましたが
松本付近からは夕方になっていたので
2泊目の宿を探しながら山道の国道を上田市に向かいました。

しばらく走ると道路沿いに温泉宿の案内の看板を見ました。

上田市までまだ遠く、山の中なのでこの看板の温泉宿に
泊まろうと思って国道から外れてさらに山道を走ります。

ようやく着いて一安心、この2晩目に宿泊した
温泉宿の名は「松茸山荘」というのですが
周りはなにもない本当に山の中
静かで涼しくて、今も強く印象に残っていました。

その後何十年かして、この宿がテレビの旅番組か何かで
紹介されていたのですが、とても懐かしく見たのです。

 

そして驚くことに

旅の雑誌

「るるぶ」にも

載っているんです。


本当に嬉しいやら

懐かしいやらでした。

 


私のことですから、もちろんそのときの
思い出のパンフレットを大事にとってありますよ#59120;


41年前の古いパンフレット

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうですか、古いパンフレットを見ると「本当に静かな山の中」
という私の記憶が、ウソでないことがわかるでしょう。

この松茸山荘のある場所、あの頃は四賀村といってたのですが
これも合併して現在は松本市になっていました。

昔話をするたびに、いろいろ調べてみるのですが
どこもここも合併されているので少し寂しくなります。
あくまでもパンフレットのキャッチフレーズ
心のふるさと四賀村であって欲しかったのですが・・・


そして

これが思い出の証拠の

穴沢温泉保養センター

「松茸山荘」の領収書。

41年経っても

日付も松茸山荘の

スタンプ文字も鮮明でしょう。

これで日付や住所が分かるので

ブログ記事の昔話が

だいぶ正確になるのです。


ただし松茸を食べたかどうかは全然思い出さないのですが
松茸を売りにしている宿だったので、たぶん食べたのでしょう。

とにかく静かで涼しくて
父と二人で気持ちよく泊まった記憶があるのです。

それにしても、温泉宿でビール1本と
宿泊費が二人分で4,000円弱とずいぶん安い時代でした。

そんなこんなで1泊目は上高地の近く
2泊目はこの四賀村(現在は松本市と合併)で宿泊。
翌朝(愛知県を出て3日目)は
信州最後の地、上田市に向かうことになります。

 

第7話に続く