黒い玉手箱
(愛知県在住時代の若いころの思い出話) 

2年間に渡って書いてきた40年ほど前の思い出話ですが
最後は、愛知県から北海道に帰る様子を思い出しています。

 

昭和48年7月28日(愛知県豊田市を出発して3日目)

沼田市を通って日光へ行く途中、いろは坂に行く手前
だったと思いますが、今もはっきり覚えている風景がありました。

車中から見た風景が素晴らしかったのです。
農家の人達が畑仕事をしていましたが
普通の田園風景とは違った高原の雰囲気がいっぱいあって
いつかこの道路をまた走ってみたいと思うほど爽やかな風景でした。

たぶん日本ロマンチック街道の群馬県片品村だったのかと思います。

片品村からいろは坂に行く前に、とても高い峠を走った
覚えがあるのですが、金精道路と書かれた領収書がありました。

この金精道路は
周りを日本百名山の白根山(2,578m)や男体山(2,486m)の
すぐそばを通るので、2,024mの高いところを走っていたようです。

カンの鋭い人は
男・根・精なんて文字がつく名に気がつくかと思いますが
たぶんみんな関係があるんでないかと思います。
金精峠には男根を御神体として祀られる金精神社があるそうです。

 

そしてヘアピンの連続した

いろは坂を走ります。

助手席の父も、カーブの連続に

驚いていた記憶が残っていますが

ネットで調べたら、いろは坂の道路の

正式な名称は日光道路というらしいので

右の領収書はたぶんいろは坂のものと思います。

                            

そして中禅寺湖につきましたが

父がこの旅で

一番楽しみにしていた日光。

後々、父はこのあたりが一番

思い出に残ったようでした。

 

日光から会津若松に向かう

国道121号線を北上したところで

この日も夕方になってしまったので

山の中の民宿に宿泊します。

この民宿は

栃木県の藤原町という町の

小さな民宿だったのですが

山の中だったのでとても静かで家庭的な民宿でした。

 

 


 第10話に続く