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第10話 最終回 [黒い玉手箱]


愛知県在住時代の思い出話
最後の記事愛知県から北海道に帰る様子の続きが
遅れてしまいましたが、今日が最後の記事になります。



昭和48年7月29日
(愛知県を出て4日目・23歳のとき)

 

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栃木県藤原町の山の中にあった

静かで小さな民宿を出発して

北海道に向かって北上。

 

いよいよ東北福島県

会津若松や猪苗代湖へ向かいましたが
もう早く北海道に帰りたくなってしまって
会津若松も猪苗代湖も
クルマの中からチラッと横目で見ただけ。

(後々、助手席の父に
もっと東北もゆっくり見たかったと愚痴を言われました)

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東北では唯一、会津磐梯山だけゆっくり見てきたようで
有料道路の通行券や古い写真が何枚か残っていました。

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会津磐梯山を見た後は、記憶もほとんど残っていませんが
ただ、山形県天童市内を走っているとき
父が「天童市は将棋の駒の産地」だと言った言葉は覚えています。

この日、7月29日の旅館の領収書だけが紛失してしまったので
どこに泊まったのか、どこを通って青森県に入ったのか
まったく分からなくなったので、天童市から青森県むつ市までの
話は省略しますが、ここだけ記憶から抜けるのが本当に残念です。

 

薄っすらと、田沢湖を見て朝のうち盛岡市を
通ったような記憶もあるのですが
次に思いだすのは、単調な下北半島の田舎道に飽きたころ
予想外なことに突然大きな街に入ったので驚いたのです。


下北半島を走っていると、荒涼としていたので
とても大きな街なんてありそうな雰囲気でなかったのでした。

その街は

本州最北の市

むつ市です。img001 (8).jpg

 

 

そしてこの日は本州最後の宿泊地

北海道を目の前にした

海辺の下風呂温泉に宿泊。

ここまで来て「恐山」を

見なかったことは悔いが残りました。

 

 

昭和48年7月31日

本州最後の宿泊地を後に少し走ると本州最北端の大間町。
ここから函館行きのフェリーに乗りました。

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愛知県からの旅のあいだはずーっと好天が続いていて
この日も天気が良く、父と二人で甲板から青い海と近づく北海道を
眺めていたら、2時間ほどの距離なのであっという間に函館到着です。

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やっと北海道の土を踏みましたが、函館から故郷日本最北の村まで
まだ650キロ以上の長い距離なので、この日は札幌の親せきの家に一泊。

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昭和48年8月1日

函館からはほとんど記憶がないのですが
故郷が近くなったころ、あのときのアイドル歌手麻丘めぐみ
私の彼はひだりきき」がカーラジオから流れてきたのを思い出します。

故郷に着いた日、オホーツク海の冷たい空気が入り込んで
夕方には父がストーブに薪を入れて火を焚いてくれました。

いくら故郷が日本最北の村とはいっても
灼熱の愛知県豊田市から逃げるようにして帰ってみたら
真夏にストーブを焚きながらビールを飲むことになるなんて・・・
 


黒い玉手箱」
(愛知県在住時代の思い出話)


終わり


あとがき

今まで記事に利用した古い領収書やパンフレットなど保管していた
この黒い箱は、いつも昔話に出てくる父にもらったものでした。

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この箱を開けると
当時の思い出がいっぱい入っているのですが、浦島太郎なら蓋を
開けると年を取るのに、私の玉手箱は蓋を開けると逆に若帰るのです。

ですから玉手箱といっていいのかどうかわかりませんが
2年と4カ月の長いあいだダラダラと書いてきた
この箱の中の思い出話「黒い玉手箱」を終わりにしたいと思います

長いあいだの昔話に
お付き合いありがとうございました


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