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北オホーツク海沿岸 [故郷の話]

私が北見に住みついたのは24歳のときですが
生まれ育ちは北見よりもずっと北の宗谷地方の漁村。

オホーツク海側なのですが、こちらとは随分気候が違って青空が少なく
夏も涼しく、子供の頃の記憶でも暑かった思い出がほとんどありません。

冬は吹雪の日が多くて
天気が良くなるのは流氷が接岸したときだけです。

若いころNHKの報道スペシャルみたいな番組で
村の様子が1時間ほど放送されたことがありましたが

そのタイトルが
ブリザードの村

子供のころから
冬は吹雪が当たり前と思ってましたが、そんなタイトルで
全国放送されるくらいなので、
やはり大変な冬だったのです。

私の故郷ではロシア放送がよく聞こえ、いつもいいミュージックが
ジャンジャン流れていて天気がいいとサハリンも見えます。

オホーツク海側の国道を北上して

宗谷管内に入ると風が強いので所々こういう風景が見れます。

14.JPG

夏は晴れると直線道路と青空とオホーツク海が
本当にさわやかで
気持ちがいいドライブコースになります。                            

おととしの夏、北オホーツク浜頓別町近くで

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このときは快晴でしたが、こんな天気は珍しい北オホーツクの海岸でした。


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続・北オホーツク海沿岸 [故郷の話]

先日は私の故郷の「ブリザードの村」の話を書きましたが
ネットで検索してみたら、その10年以上後に
また違うタイトルで村の様子が放送されたらしく

今度の番組は

NHK特集「ブリザードが村を襲った」というタイトルで
1988年2月に放送されたらしいです。                                

番組内容案内をみると

2月の初め、北海道最北端の村を襲った風速20メートルを超す                    ブリザードは国道を寸断し村を孤立させた。地元の人たちの戦いを伝える。

というものでしたが
私はこの放送は知らなかったので見ることができませんでした。

国道を外れるとどこまでも直線のいい道路がありますが
人に知られてないこんな田舎道も
夏になるとライダー達がどこで情報を得るのか結構通ります。

いつか北オホーツク方面に行く予定のある方は
ぜひ通ってみて欲しい道路です。

まるで自分のためだけにあると
錯覚をするような雰囲気で、
ここで夕焼けなんか見たら大感激するでしょう

3.JPG

寂しい北のオホーツク海、だいたいこんな天気が多いので
なかなかきれいな写真を撮ることができません。

ここにも風車があります。

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神秘的なカムイト沼

国道から外れているので、いつも寂しい雰囲気が漂っています。

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今年も夏になったら遊びに行く予定なので、あちこち写真を撮って
ブログに載せようと思っていますが、なかなかきれいに晴れてくれません。

風景ばかりでなく、天気まで荒涼としている北オホーツク海沿岸です。                          


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スピード出し過ぎてしまいました [故郷の話]

お知らせ ブログ村に登録しました

昨日から女房の兄と父親が札幌から遊びに来てくれて
夕べは北見に住んでる娘夫婦も加わって賑やかに夕食。

そのあと明日は入れ替わるようにして
最近私の記事の舞台になることが多い、埼玉県川口市から兄が来ます。

そして私は昨日(13日)国道238号線を走って
故郷北オホーツク最北の村まで行ってきました。

朝4時40分オホーツク海の日の出(雄武町と枝幸町の中間で)

P8130007 - コピー.JPG

あちこち風景を写して記事にしようと思ったのですが
この写真を撮ったあとはずっと雨降り
ブログの記事ネタもないままでは悔しいのでこんな話を。

雨が降り出す前は道路(国道238号線)も渇いていて
クルマは少なく信号もないのでついついスピードがでます。
常時時速90キロから110キロ
これだけスピード出していてもさっぱりスピード感がありません。

そのうち120キロになったのですが
若いころ名神高速を130キロで走ったことを思い出しました。

どうせならもう少しと思って、130キロになり
そして132キロになったところで怖くなって減速。

こんなこと書いて「プー太の父さんいい歳こいて危ないよ~」
言われそうですが年に一度、故郷に帰るときの楽しみなのです。

帰り道の238号線 紋別市も雨でした

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孫も一緒に墓参り [故郷の話]

お盆8月15日

娘婿の買って間もない7人乗りのクルマで
故郷の墓参りに行ってきました。

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クルマの前席では息子と娘婿が仲良く談笑してにぎやか
真ん中の席では、娘が初孫(昨年の暮れ誕生)の面倒を見ています。

一番後ろの席では私と女房が
いつものように口げんかしいしい座っています[わーい(嬉しい顔)]

親がこんなにしょっちゅう口げんかしながらも
子供たちはみんな仲良く、親に似ないで本当に良かったと
思ったりしながら、孫の顔を見ながらの楽しいドライブになりました。

息子の嫁さんだけがお盆も仕事のため一緒に行けなくて残念でしたが
時々我が家で、みんな揃うと本当に楽しいものです。

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北見市からオホーツク海側を120キロほど北に向かうと興部町
みなさんこの町の名前を読めますか?

おこっぺと読むのです。

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娘がここのソフトクリームが食べたいと言うので
道の駅に寄って私も食べてみましたが
本当に美味しいソフトクリームでした。

さらに北上すると枝幸町、この町から宗谷地方に入ります。

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それからまた1時間近く走ると日本最北の村、故郷猿払村に到着。
 
私を育ててくれた父やご先祖さまに孫が出来たことを報告。
 
墓参りを済ませ、親戚や高校時代の
親友のところに顔を出してから猿払の道の駅に到着
 
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村は私が子供の頃、ニシンもホタテも
獲れなくなってすごく貧乏村でしたが
ホタテの稚貝を放流して育てる漁業に方針転換
してからすっかり生きかえってしまいました。
 
レストランもホタテ料理がメインです
 
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ホタテの他にオススメは牛乳

この村の牛乳は、おそらく日本一でないかと思うくらい美味しいのです。
みなさんもここを通ったら、ぜひ牛乳を飲んでみてください。

たぶん、さるふつ牛乳は最高だ~と言うでしょう。

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最後はふるさと自慢になってしまいましたが
こうして初孫も一緒に、北見市から故郷まで往復550キロほど
日帰りで墓参りに行って、夕方6時頃我が家に着きました。

家の横で、朝早くから置き去りにされていたプー太が
心細そうな、なんとも言えない顔をして待っていました。


タグ:墓参り
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故郷の海 [故郷の話]

この古い写真は私が4歳のとき、実に60年前の写真なんです。

私の乗ってる船は、漁師をやっていた父の船ですが
なんとマストがあるのです。

そして海を見てください、ぜーんぶ帆かけ舟なんですよ。

漁船の動力が機械化されたのはこの2~3年後かと思います。


昭和29年7月2日(オホーツク海)

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このころはまだニシンが獲れていたころで、父も東北あたりから
出稼ぎにきた若い衆を何人か雇って漁をしていました。

たまーに小さなフグも網に入ってるのですが
売れないからか料理が面倒なのか
浜に捨てられてカモメやカラスの餌になってしまうのです。

海から上がったばかりのフグは、腹をふくらませてポンポンに
なってるのですが、そのフグを石に向かって投げると
パーンといい音が出るのが面白くてよくやったものです。

食べるとすごく美味しいのですが
あまり食べさせてもらえませんでした。
きっと毒もあるので料理が面倒だったのかと思っています。

それにしても石にぶつけて破裂させるなんて
ずいぶん残酷な遊びをしたものです
[ふらふら]

 


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故郷の海底ケーブル [故郷の話]

 

皆さんこれが最後です
さようならさようなら

終戦から5日後の1945年8月20日
樺太(サハリン)の真岡(ホルムスク)で、迫り来るソ連軍の前に
死を覚悟し交換台に向かった9人の女性たちの最後の言葉。

この通信はサハリンから
延長約160キロの海底ケーブルを伝わり、北海道で受信されました。

その地がこの北海道新聞の1月4日の記事に出ていました。

孫社長の知恵袋と言われる嶋社長室長

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今も海底ケーブルはそのままに

なっているのですが

ソフトバンクがこのケーブルに

着目してサハリンから北海道に

電力を送る構想があるというのです。

 

今までだれも見向きもしなかった

この古い海底ケーブルに

目をつけるなんてすごいことで

さすがソフトバンクだと

驚いたのです。

 

 

さてさて本題に入りますが

この写真の地海底ケーブルがあったところは、いつも昔話に
出てくる私の故郷、そして私が育った家の隣なのです。

子供のころケーブルを見るたび不思議に思いました。

普段は砂に隠れて見えないのですが
年に1度か2度の台風並みの大シケのあと、太さ10センチ以上もある
ケーブルが顔をだすので、それがとても神秘的に感じられたのです。

ここは我が家の庭と同じようなものだったのですが
ちょうどこの写真のケーブルの記念碑のところから海岸に向かって
緩やかな坂になっているので、子供のころ冬はよくスキー遊びをしました。

02.jpg

先日記事にしたこの写真は新聞の写真とほぼ同じところですが

帆かけ舟の写真から60年、眠ったままの海底ケーブルを利用して
サハリンから北海道に電力を送るというソフトバンクの構想
なんとか実現してほしいものです。

(北海道新聞の記事を参考にさせていただきました)

 

 

 追記

あとでもう一度新聞をよーく読み直してみたら、このケーブルを参考に
稚内とサハリンを結ぶ新しいケーブルを作る構想のようです。

スミマセン[ふらふら]
記事を良く最後まで読まないでしまったので、勘違いのようでした

 

 

 

 


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故郷の海・2回目 [故郷の話]


海は広いな大きいなぁ

オホーツク海(浜頓別町付近の海岸)

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オホーツク海(雄武町付近の海岸)

20 - コピー.JPG


オホーツク海(私の育った家があったところ)

09 浜猿払の家の跡 - コピー.JPG

上の写真の下側、1月のブログ記事にしましたが
ソフトバンクが注目した、北海道と
サハリンを結ぶ
通信用海底ケーブルの記念碑が写っています。

私が子供のころは、下の新聞の写真のように整備されてなくて
雑草の中に墓石のような碑がぽツンと建っているだけでした。

P1040007.JPG

 

こんな穏やかな夏の海を見ていると
みなさん海はいいなぁ~と思うでしょうね。

 

しかし冬になると暗い海に変わって、荒れる日も多くなります。

大荒れになると、海のうねりの音がドーン[exclamation]という大きな音になり
そのたびに家の中の戸や玄関の戸がガタガタと揺れる音がします。

富山の薬屋さんや親せきなど、たまぁに家で泊まっていく人たちは
口をそろえて、朝まで眠れなかったと言っていたものですが
私はもちろん慣れているので、この程度は当たり前のことでした。

しかし年に何度か台風並みのすごい大荒れになることがあります。

みなさんもテレビの映像で
台風のときの海の大荒れを見たことがあると思いますが
まるで、普段の3倍くらいに海が膨張したような怒り狂う光景です。

いくら海のそばで育ったといっても
このときばかりは、まともに目の前の海を見るのが恐ろしいほどでした。

 

でも1月の北風が吹きつける大荒れの夜が明けて、布団の中でじーっと
耳を澄ますと、波の音も風の音もピタッと止んでシーンとしてるんです。

もう海を見なくてもわかります

来ました、今年も流氷が

大荒れの海は嫌いだけど流氷が来ると嬉しかったですね
波の音が消えてシーンという音が聞こえるくらい静かになって
なにしろ一年中いつも波の音が聞こえるのです)どこまでも
流氷が続いて海がすっかり隠れてしまって、本当に神秘的な風景に変わります。

この父と一緒の写真は私が中学生のとき
3月末なので流氷はだいぶ去ってしまって
少ししか残っていませんけど、この状態を海明けと言います。
img001 (3) - コピー.jpg

こんなとき流氷に乗って海の中を覗くと
大きな毛ガニがうようよ泳ぎ回っているのが見えるのです。

私がまだ5~6歳のころだったと思いますが
父が流氷に乗って毛ガニをたくさん捕ってきたのです。
その数は50匹や100匹なんてものでなくて
流氷の上が大きな毛ガニで山盛になっているのです。

 

いまは夢の中の出来事かと思いますが

牙をむき出した悪魔のような
大荒れの

恐ろしい海のそばには、二度と住みたくないものです。

 

 

 


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猿払中継所 [故郷の話]

久しぶりに昔話です。01.gif

故郷は小さな漁村。

小学低学年のころは
小さな子から大きな子まで
みんな一緒になって遊んでいました。

夏場の遊びは、缶蹴り・野球・魚釣りなどが主です。

 

61年前、私が小学1年のとき。 

2歳年上の良ちゃん
5~6歳年上でガキ大将のただおちゃん
ただおちゃんの小さな弟のケンちゃんはまだ4歳

大きい小さいは関係なく、み~んな
○○ちゃんと呼びあって仲良く遊んでいたものです。

 みんな仲良く魚釣り

img001 (2).jpg
 
 

右は仲良しだった2歳年上の良ちゃん。

左の丸坊主はてっちゃん、後のプー太の父[わーい(嬉しい顔)]

img001 - コピー.jpg
 
 
私の隣に座っている良ちゃんの妹
名前はたしかマチコちゃんだったかな。
当時の少女の髪型の定番キノコカット?なんですが
この写真ではちょっとわかりずらいですね。
 
img001 (3).jpg

当時はわが家の目の前に
電電公社(日本電信電話公社・現NTT)の
猿払中継所とその家族が住む官舎があったので
仲良くしていたのはおもにその子供達でした。
 
しかし電電公社は転勤が多いので
ときどき遊び仲間も入れ替わったりします。
そして私が中学生になるころには
中継所がなくなってしまったので、仲良く
遊んでいた仲間達は誰もいなくなってしまいました。

 
樺太と北海道を結んだ海底ケーブルと
電電公社・猿払中継所跡の記念碑
10 樺太間の電話線の跡 - コピー.JPG
 
 

この記念碑のすぐ目の前、この空地に
漁師をしていた父が自分で建てた家があり
ここで私が高校を卒業するまで住んでいました。


天気のいいいときには
わが家から樺太(サハリン)の島影が
見えましたが、父もその樺太から
逃げるようにして北海道に渡った1人でした。

09 浜猿払の家の跡 - コピー (2).JPG

 


私が生まれる15年前

1934年・12月

樺太(サハリン)と北海道を結ぶ
海底ケーブルが猿払のこの場所に完成
樺太・札幌・東京と通信網が広がりました。

その海底ケーブルを通しての
大事な中継の役割を果たしたのが
私の家の前にあった猿払中継所だったのです。

太平洋戦争時、樺太の北はソ連領南が日本領
戦時中としては比較的穏やかだったようですが
終戦を告げた玉音放送から数日後、日ソ不可侵条約を
一方的に破棄してソ連軍が日本領へ侵攻してきました。

 

広島に原爆を落とされた2週間後

1945年・8月20日

海の向こうの樺太・真岡郵便局に
勤務する9人の乙女たちの
最後の声を猿払中継所が最初に受信。

 

皆さん これが最後です
さようなら さようなら


ソ連軍の侵攻を前に9人の電話交換手の
若い女性が自決死してしまった悲しい出来ごとは
北のひめゆり」とも言われ小説や
氷雪の門」という映画にもなりました。

ソ連に南樺太を奪われ
樺太との通信もなくなり

国内では通信網の改良などのために
猿払中継所もその必要性がなくなります。

こうして猿払中継局は1964年9月
東京オリンピック開催の数日前
ちょうど30年の歴史に幕を閉じました。

私が中学3年生のときでした。


子供の頃

海がすごい大荒れの後だけ
砂浜が削られて錆びた太いワイヤーが
姿を現すのですが、そんな悲しい歴史があった
海底テーブルだったなんて全く知らないことでした。

 


 
[exclamation]

自分の記憶とネットのチカラを借りて
記事にしましたが、3年ほど前にも似たような
記事を書いたことがあったので重複する部分があります。

なお、稚内市の稚内公園には
1963年に「九人の乙女の像」が健てられ
その当時の関係資料なども展示されていますが
詳しいことはこちら稚内市の観光情報でご覧ください。
[バッド(下向き矢印)]
http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/gaiyo_rekishi/9ninotome.html

 


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ブリザードの村へ [故郷の話]

もう10日以上、2週間近くも
パソコンから遠ざかってしまいました。

メールがたまっていたのでびっくり。

オリンピックも終盤に差し掛かったころ
故郷宗谷地方に住む叔父が亡くなり
通夜には出席出来ませんでしたが
日帰りで葬式だけ行ってきました。

以前に記事にしたことがありましたが
故郷の宗谷地方・猿払村は
1970年代の初めにNHKの特別報道番組に
なり、その後もう一度特別番組に出ました。


凄まじい吹雪が多いため
その番組には「ブリザードの村
という過激なタイトルがついていました。


01.gif


LS北見」の銅メダルをかけた
試合どころではありませんでした。

吹雪の巣の中?めがけて
夜中の2時に北見を出発。

海岸線特有の地吹雪とそのために
生じるガタガタしたアイスバーンの
恐ろしさは平野部どころではありません。

心細いドライブでしたが

運よく枝幸町あたりから
天気も良くなり7時ころ猿払村に到着。

枝幸町の海岸線
CIMG3454.JPG
猿払村に入る
吹雪が当たり前の猿払村が晴れていました。
CIMG3456.JPG



葬式は10時からですが、実は千歳市から
出席予定の叔父叔母など親戚の人達と
一緒に朝ご飯を食べたかったので急ぎました。


亡くなった叔父の息子は、JRが旭川で
通行止めのため来ていませんでしたが
千歳の叔父叔母とは会うことが出来ました。


途中、久しぶりに再会出来た
親戚との会話を楽しみながらも

葬式・火葬場とすべて終わり午後3時過ぎ。


 

朝の好天がウソのように急変[exclamation×2]

さすが猿払村、これは当然想定内です

外はときどき視界が数10mくらいで
ホワイトアウト状態なっていましたが
クルマの中で少し風の弱まるのを待ちました。
ジャンプの選手が強風が弱くなるまで
待つのと同じようなものです

一瞬少し明るくなったときに猛ダッシュ[exclamation]
とにかく安心できるところまでは
クルマを止めないで走り続けます。

30分ほど走って浜頓別町に着いたころ
だいぶ視界が良くなったので、クルマから
降りて猿払村の上空を見たら真っ暗でした。

こうして吹雪の巣から脱出出来ましたが
その後もときどき地吹雪とアイスバーンの
国道を走り続け夜8時ころわが家に着きました。

睡眠不足のうえ、こんな国道を
日帰りで往復500キロも走ったので

まだまだ年には負けないぞと
自信を持ったつもりですが

無理がたたったのか
その後すぐに風邪をひいてしまい
昨日(土曜)は仕事を休みました。

それにしても生まれて18年間
よくもこんな「ブリザードの村」に
住んでいたものだと思いました。

こんど生まれ変わった時には
絶対に住まないつもりです[わーい(嬉しい顔)]

まだ体調が戻らないので
コメント欄を閉じさせていただきます。



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故郷で法事 [故郷の話]

みなさま台風の影響はいかがでしょうか。
こんなときに記事更新なんてしてる
場合でもないのですが、記事を作って
おいたので予定どおりとさせていただきます。

 

連休(日・月)は法事があるので
1泊で故郷まで行ってきます。01.gif

北見からはオホーツク海沿いを
北に向かって距離は250キロ余り。

東京駅から静岡の浜松駅あたりまでの
距離ですが、札幌へ行くよりも距離は短く
車は少ないので単調なトライブになります。

img001.jpg私が生れて18歳まで住んだこの村は
稚内市の南に位置する日本最北の村。
面積も広くて国内の村では奈良県の
十津川村に続いて2番目の広さになります。

面積は2番目ですが人口密度は164番目なので
実際の広さは日本一のようなものかと思います。


私が子供のころは父が漁師だったので
海のすぐそばに住んでいましたが
天気のいいときは、遠くに薄っすらと
ロシアのサハリン(樺太)の島が見えました。

海は冬の間は流氷に閉ざされますが
春になって流氷が開け始めると
氷と氷の間の透き通った海には
大きな毛ガニがうようよと泳いでいます。

父が開けた海に浮かぶ氷のかたまりに
乗って、氷の上に山盛りになるくらい
毛ガニを獲ったのも鮮明に覚えています。

いま思い出すと夢のような光景でした。

 
 
昭和29年7月・父の帆掛け舟の上で

沖に帆掛け舟がたくさん見えますが
私が5歳のときは帆掛け舟の末期のころでした。
2~3年後には焼き玉エンジンに変わってきます。

02.jpg


数ヶ月前、ちょっとテレビや
新聞の話題にもなりました。

私の住んでいた部落の隣の部落の
数百m沖に、大きな岩の塊がありましたが
その岩の塊が見えなくなったという話です。
 
 
DSCN0085.JPG
 
あんなただの岩の塊なんか漁船の邪魔に
なるだけだから消えた方がいいだろうと
思っていましたが実はこれは立派な島なんです。

消えたってなんの損もないだろうと
思っていましたが、もしもこの小島がなく
なったら領海が少し狭くなるようなんです。
 
以上ちょっぴり私の故郷の思い出話でした。


それでは皆さまに台風の被害のないよう
お祈りいたします。明日早朝出発します。
 

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故郷の風景 [故郷の話]

先日、法事のため故郷に行ってきました。

DSCN0233.JPG



01.gif朝、北見を出発するときは台風19号の
影響でどしゃ降りでしたが台風から遠い
宗谷地方に入ると青空が見えてきました。

(稚内市・猿払村・枝幸町など北海道の
一番北の地域を宗谷地方といいます。)


のんびり故郷の風景を楽しんでみました。
  [バッド(下向き矢印)]

故郷の話を読む


タグ:猿払村
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故郷の海の風景 [故郷の話]

みなさんコロナワクチンの予約出来ましたか?
北見市でも65歳以上約4万人の高齢者の予約受付が始まりましたが
予約が始まってすぐにネット予約サイトがパンクしてしまいました。
電話も「混みあっているのであとでおかけ直しください」というばかり。

DSCN4047 (2).JPG

北見市が予約業務を委託した大阪の会社によると
1時間に2万件のアクセスを想定していたところに3万2千件の
アクセスが集中したためサーバーに高い負荷がかかったそうで
サーバーを増強して早期の受けつけ再開を目指しているようです。


怒る北見の高齢者33.gif37.gif


なにやってんだ!こんな会社にもう頼むな[どんっ(衝撃)]


こちらに昔話用意しました
   [バッド(下向き矢印)]


 

昔話も覗いてみる


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