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故郷へクルマで帰る 第三話 [黒い玉手箱]

クルマで愛知県から北海道に里帰りした昔話

この昔話が最後まで終らないうちに、お盆に墓参りのために故郷に行った
今の話をしてしまったので、少し話がややこしくなってしまいましたが
第二話まで書いた昔話の続きになります。

(画像は全部ネットから借用しました)

1972年・8月4日~8月9日

田舎の実家から札幌の親戚の家に来て
私の札幌到着を待っていた父と二人で故郷へ向かったのが8月4日。

札幌から350キロほど走って実家が近くなってきた頃
対向車線を、私とよく似たクルマが走ってきました。

ブルーのカローラクーペ
よく見ると私と同じ
三河ナンバーと気がついた瞬間
カローラクーペがクラクションを鳴らして同年代の若者が手を振っていました。

愛知県の三河地方に住んでる者同士がこんな日本の最北近くで出合うと
よくここまで走ってきたね~なんて嬉しい気持ちになります。

これだけが田舎のただ一つの記憶。

実家に滞在した4日から9日まで、ほとんど記憶がないのです。

こんなとき何か資料や写真があればいいのですが。

帰省の話なのに実家での思い出がないとは残念ですが
田舎の実家で楽しくすごしたことでしょう。

しかしこの後の日付が入った、阿寒湖のホテルと網走で撮った写真が
ありましたので、帰り道のことはいろいろ思いだしました。

 

 それではここから愛知県に戻る話です

あの頃、職場のトヨタでは日本全国からいろんな人が来ていましたが
北海道の話題になるとすぐに網走が出てくるんです。

全国的には札幌よりも網走の方が
知名度が
高いのかと思うくらいよく話題になりました。

それは映画、高倉健の網走番外地シリーズが大ヒットした影響でした。

私は北海道出身なのに一度も網走を見たことがありませんでした。
網走を知らなければ、北海道の人間として少し恥しいと思っていたほどです。

8月10日

そんなわけで愛知県に帰るのなら
まっすぐ札幌に戻れば早いのに、ぐる~っと200キロ以上も遠回りをして
オホーツク海側を知床に向かって走り、網走に行くことにしました。

実家でいよいよ父と別れて、私一人で網走に向かうつもりでしたが

な~んと[exclamation×2]

田舎から札幌まで私を迎えに来た父が
またまた一緒に網走を見ながら札幌に行くというのです。

大阪万博に行ってからすっかり旅好きになってしまったので
私が網走に行くと言ったら、もうジーッとしてられなかったのでしょう。

こうしてまた父との二人旅になりました。

5.jpg

 

私の故郷は宗谷郡ですが
オホーツク海側を知床方面に向かって南下すると、雄武町から網走郡になり
紋別市を過ぎるとサロマ湖が見える湧別町や佐呂間町を通ります。

一緒に旅をする父も
網走なんか行ったこともないので、初めて見る風景でした。

4.jpg

 

同じオホーツク海側でも北の方は荒涼としていますが
紋別市や湧別町あたりから、背の高い木も増えて緑が濃く感じます。

サロマ湖も過ぎると赤いサンゴ草がきれいな能取湖。

 

初めて見る景色を楽しみながら5.jpg

故郷から

約250キロほど南下して

網走湖が見えると

いよいよ網走市に着きました。

 

初めての網走の印象

同じオホーツク海なのに、故郷に比べたら空や緑の色が濃くて
それにあのころは、まだまだ映画網走番外地の影響ですごい数の観光客です。

あのとき、オホーツク海側にも、こんな明るく活気がある街があるんだなぁ
思ったのが第一印象でした。

網走刑務所などを見ましたが
これで愛知県に戻って北海道の話が出ても

俺は北海道人、網走だって行ってるぞ~と自慢話が出来るのです。

第三話おわり

 

 

 

 

 


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コメント 2

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和

私も、今年初めて網走を見ました。
その昔、極寒のちに数十名の人が入り、紆余曲折の結果、今の観光化した網走となり、ぐっと開けたようですね。

今度の旅行で、網走を少し学びました。北海道はあの方たちのベースのもとに成り立っている・・・とか肩を持ちすぎでしょうか。

まだ、知らないこちらの人は、【網走とはか高い塀がある寒い地の監獄のあるところ】
百聞は一見にしかず~~~ですね。
縦書きの文字の【網走刑務所】の横の民家と刑務所の間には、高い塀などありません。・・・ネ。
by (2013-08-24 07:57) 

プー太の父

和さん こんにちは~

和さんは先日見たばかりですね。
何もない小さな村に、囚人を連れてきて刑務所を作らせて
そこから網走が刑務所の街としての歴史が始まったようですね。

囚人の過酷な労働や待遇を書いた本を
読んだことがありましたが、本当にひどい話ばかりです。
鉄道や道路ばかりでなく空港や港など、大きな工事はほとんど
囚人の過酷な労働で出来あがったと聞いては驚きます。

私の若い頃は、トンネルの中で囚人の幽霊が出るという話も
結構あったのですが、今はまったくそんな話もなくなって
しまいました。

普段、道路や鉄道を利用している地元に住んでる人にも
忘れられてしまったような囚人の歴史です。

by プー太の父 (2013-08-24 13:22)