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熱狂的だった中日ファン [黒い玉手箱]

子供のころは、ラジオを入れると巨人軍の試合ばかりでした。

それで大勢の道産子は、嫌でも巨人ファンになってしまうのですが
野球中継を聴いているとき、長島選手が打席に入ると
アナウンサーや観客が異様に盛り上がります。

当然のように、自分も長島選手のファンになってしまいました。

王選手もすごかったのですが、好きなのはやっぱり長島選手です。


もう愛知県時代の古い話も終了と思ったのですが
1枚の写真から、またいろいろ思い出してしまいました。
みなさん読んでくださいね~[目]

 


 

黒い玉手箱(愛知県在住時代の思い出話)

今から46年前の1968年

トヨタに入社して間もないころ
従業員は全国から人が集まっていましたが
地元三河地方や名古屋の方も多数働いていました。

あるとき野球の話になってしまって
私が巨人ファンだと言ったら、地元のだいぶ年上の先輩たちが

何が巨人だ東京だ、日本の中心は愛知県だ三河なんだ[exclamation]

まったく野球の話どころか歴史の話になってしまいます。
巨人も嫌いだけど、東京も嫌いだと言わんばかりで

最後には三河地方の自慢話になってしまうのでしたが
よく聞いていると
なるほどその通りかもしれないな、説得力もあって
三河の国を誇りに思っている気持ちが伝わってくるのです。

あのころは、プロ野球の中でも中日ファンが一番熱狂的で
球場でのマナーも悪いことは印象にあったのですが
私が巨人を応援する気持ちの何倍も
中日を応援している気持ちが分かってきました。

それ以来、職場でプロ野球のことは
なるべく
口に出さないようにしたものですが、若い人たちは
そんなにひどい熱狂的なこともなかったと思います。


一年先輩で名古屋出身の鈴木さんという方がいました。


トヨタ本社前で鈴木さんと(1971年)

img002 - コピー - コピー.jpg 

鈴木さんはもちろん中日ドラゴンズの大ファンですが
あるとき「一緒に野球を観に行こうと私を誘ってくれました。

初めてみるプロ野球は中日球場で巨人対中日
鈴木さんが、私のために巨人側の外野席に案内してくれて
中日球場の外野の巨人応援席だったのですが
敵味方なく二人で仲良く試合を楽しんできました。


このころは、後にテレビでタレントとして活躍した
巨人キラーの坂東英二さんが、中日ドラゴンズを引退した後で

楽天の監督として昨年日本一になった
星野さんがドラゴンズに入団した年が1969年

テレビで野球観戦していると
星野投手の巨人と対戦するときのファイトはすごかったものです
特に長島選手と王選手が打席に入ったときは
燃える男そのもので、まるでケンカ腰に見えた形相でした。

そしてドラゴンズの主砲として活躍した
大島康徳選手も星野投手と同じ1969年に入団しましたが
あれ以来、プロ野球を観戦したことがないので
これが最初で最後のプロ野球観戦になったのです。


さてさてこの鈴木先輩

パチンコの本場といわれた
名古屋の方だけあってパチンコが上手で
あるとき私に「本場のパチンコに行ってみよう
なんて、パチンコにも一度誘ってくれました。

鈴木さんの実家にもお邪魔したり
パチンコをして楽しんだり名古屋での思い出に残っています。

 

パチンコは、もちろん大勝利でした
本場名古屋の鈴木先輩お勧め台でやったのですから
[わーい(嬉しい顔)]

 

 


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