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第1話 馬籠宿・妻籠宿 [黒い玉手箱]


黒い玉手箱愛知県在住時代の思い出話

黒い箱の中のパンフレットや領収書を元に、愛知県在住時代の
若いころの思い出話をだらだらと2年間も記事にしてきましたが
残りの古い資料もいよいよ残りが少なくなって
愛知県から北海道に帰るときのものばかりになりました。

黒い玉手箱
最後の記事になると思いますが
愛知県から故郷北海道に帰る様子を書くことにします。

思い出の未公開資料も少なくなった黒い玉手箱

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(パンフレット、領収書、写真はすべてその当時のものですが
 これらの資料を見ながら、残っているわずかの記憶をつなぎ合わせて
 父との思い出の旅を、出来るだけ再現してみたいと思います)

 

 それでは昔話を始めます。


昭和48年7月トヨタ自動車を退社


5年3カ月(18歳から23歳まで)
青春を過ごした豊田市から北海道に帰ることになりましたが
故郷北海道の北の村から
このクルマの旅を楽しもうと父が豊田市に来ました。

父は国鉄で札幌まで出てきて
それから千歳空港から羽田空港まで飛行機。
東京から国鉄・東海道本線の電車に乗り、愛知県内に入ってから
名鉄の電車に乗って、ようやく私の住む豊田市に到着しました。

今と違ってこれだけでも相当な時間をかけた長旅
しかもこのとき、今の私と同じ64歳になっていた田舎者の父が
あれこれ乗り換えて、よく迷わず豊田市まできたものだと感心します。

 

豊田市を離れる2~3年前(昭和45年頃)の七夕の写真
豊田市の中心地を写した、ただ1枚の貴重な写真です。

img001.jpg

もう北海道に帰れるんだという気持ちのせいかもしれませんが
この年の豊田市は、今までの5年間で一番暑い夏だったように思います。

とにかく早くこの暑い
愛知県から脱出したいという気持ちでいっぱいでした。


アパートの4畳半で豊田市最後の暑い夜を父と過ごし

 

昭和48年7月26

朝早く愛車スプリンターで故郷北海道へ向けて出発。

一度は住んでみたいと思った
あこがれの地、信州をゆっくり見る予定で北上。

今回第1話は、S(豊田市)からG(妻籠)までの
グリーンに表示された約90キロほどの道程の思い出話になります。

001.jpg

松本方面に行くのに何度も通ったセトモノでお馴染みの瀬戸市。
愛知県ともここでお別れですが、もう愛知県なんて来ることが
ないのかもしれないと思うと一抹の寂しさを感じました。

瀬戸市を過ぎると岐阜県多治見市に入ります。
さらに恵那市や中津川市を通って長野県に入るころ
豊田市から約90キロほど走行したところが最初の目的地。

木曽路を代表する観光地、中山道69次

42番目の宿場妻籠宿(つまごじゅく)
43番目の宿場馬籠宿(まごめじゅく)

 
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どちらも見たのか、そのへんははっきり記憶にないのですが
数枚の写真が残っていて、たぶんこの写真のそば屋さんで

02.jpg

 

昼食の信州そばを食べたと思っているのですが
そばが大好物の父が、そばの本場信州
それも昔の雰囲気そのままの宿場町での昼食ということで
すごく喜んで食べていたのは記憶にあります。

03.jpg

 

なお、中山道長野県側の最南端にあった馬籠宿は
平成の大合併により、現在は岐阜県になっているようです。

 

古い街並みや信州そばに満足した父と、中山道(国道19号線)を
塩尻、松本方面に向かって走り、木曾福島を過ぎてしばらく走ると
野麦峠や上高地、高山方面へ行く道路標識が見えました。

いよいよこの旅の一番大きな楽しみ、上高地へ行く県道に入ります。


第2話に続く

 

 


  

あと書き

愛知県から北海道へ帰る旅は、ところどころ強い思い出が残るものの
記憶から抜け落ちている部分も多いので
多少の推測も入れながら話を進めていますのでご了承ください。

でも、いつも信州にドライブに行くときには瀬戸市を通り
中山道(国道19号線)を走って松本方面に向かっていたので
このルートで馬籠宿・妻籠宿に行ったことは間違いないと思っています。

そして月日ですが
そのあとの旅館の領収書やフェリーの乗車日などの日付け
黒部ダムへ行くときの大町有料道路の通行券の日付けなどから
豊田市を出発した日が、7月26日と間違いないことが分かりました。

第3話までは豊田市から上高地までの一日間の様子です

 


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ビタースイート

馬籠宿・妻籠宿
小説で読んだことがあるだけです。
平成の大合併で、文学や記憶の中で刻まれた地名がなくなってしまい、まったく馴染みのないものに変わってしまい、戸惑うばかりです。

by ビタースイート (2014-05-17 06:22) 

和

あのあたりだなぁ~と思いながら、拝見しました。
野麦峠とか、小説の世界の名で・・・

でも、自分の人生と合わせて考えると時代背景は、よくわかります。
次が楽しみです。
by (2014-05-17 06:42) 

マザーグース

プー太のお父さん♪ おはようございますぅ~(^-^)/

楽しみに待っていました!!
お父さんの『ツアー旅行』に間に合って良かったぁ~σ(^◇^;)

合併で…今では残っていない『地名』も有るのですね。。。
でも、その時々の思い出と共に。。。
セピア色の『写真』と…残されている、プー太のお父さんの記憶('-'*)
何時までも無くならない宝物ですね♪

当時お父様が、長い距離を愛知県まで向かわれた時の『想い…』
想像すると、なんだか感動してしまいます。
プー太のお父さんが、一人で帰郷していたら味わえなかっただろう、
『父と息子』の二人旅(o゚▽゚)o
次回のお話しがとっても楽しみですぅ~~~~

by マザーグース (2014-05-17 08:04) 

プー太の父


ビターさん こんにちは~

眼鏡をかけたビターさんが、カメラを構えながら来てくれたら
女性週刊誌の記者が私を取材に取材に来てくれたようで
思わず、う・う・嬉しい~という気分になってしまいます(´▽`)

平成の大合併についてはまったく同感ですね
全国いろいろなところが新しい地名に変わってしまって。
妻籠宿と馬籠宿も通常は二つの宿場がワンセットで
考えられていたと思うのですが、ネットで調べて馬籠宿だけ
岐阜県になっていたときはがっかりしました。
あくまでも馬籠宿は信州であって欲しかったです。



by プー太の父 (2014-05-17 10:35) 

プー太の父


和さん こんにちは~

野麦峠と言えば
「ああ野麦峠」の作品が発表された1968年
ちょうど私が高校を卒業して愛知県に行った年でした。
飛騨地方の娘さん達が、この峠を超えて信州の
生糸工場に働きに行ったという話でしたね。

当時、私もこの峠に一度行ってみたいと思いながら
ついに行くことがなかったのですよ
今思うと本当に残念だったと思います。
by プー太の父 (2014-05-17 10:51) 

プー太の父


グースさん こんにちは~

日曜日の朝に出発予定でしたが、出発用意が早く
終わったので、今朝(土曜日)早く出発となってしまいました。
もしかしてグースさんが朝寝坊していたら間に合わないと
心配していましたが、安心しましたぁ~*´∀`*

私は愛知県から故郷北海道に帰るだけで、素晴らしい思い出に
なっているのですが、この記事書くときになって考えてみると
父は故郷から豊田市までの旅もまたすごく長かったのです。
ですからきっと私の2倍も強い思い出になっていたでしょうね。

次回第2話は火曜日頃の予定ですが、また一緒に昔の旅を
楽しんでくれたら嬉しいです。お待ちしてま~す♪(゚▽^*)
by プー太の父 (2014-05-17 11:08)