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文通友達が住んでいた街 [黒い玉手箱]

京都、天橋立、福井県の三方五湖レインボーライン、今話題の敦賀原発にも
行ってきましたが、資料も記事にするような記憶もないので省略して
鳥取砂丘に行ったときに通った、福知山市の思い出を少しお話します。
 


小学4年か5年のときに
福知山市に住む1歳年上の男子と文通をしていました。

京都の山奥の方から北海道の先端の方までなので
手紙を出してから配達になるまで、だいぶ日数がかかったと思います。


私が返事を出してから相手の返事が
私のところに着くまで、今か今かと待っていたものです。

文通が始まってから何カ月かすると
文通相手から京都の珍しいお菓子を送ってもらったり
こちらからも北海道の名物を送ったりするようになりました。

その人のお姉さんまでも、手紙を書いてくれて同封されていたり
家族ぐるみの文通みたいになりましたが、やがてお互い
中学生になるころには、どちらからとなく文通は途絶えてしまいました。



鳥取砂丘はあまり思い出も残っていませんけれども
そのとき通った福知山市は忘れられない街、しっかりと記憶に残っていました。

そして不思議なことに、50年も過ぎた今も
その文通相手の住所と名前をはっきり覚えているのです。


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コメント 8

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いっぷく

私も文通経験のある世代なのですが
残念ながら住所は覚えていません。
ただ名前は覚えているので、
facebookで探したりしています。
by いっぷく (2012-11-04 04:54) 

和

懐かしい、良い思い出ですね。
そういうのは忘れない、心の宝物ですから~。
良い一日を。
by (2012-11-04 05:30) 

プー太の父

いっぷくさん こんばんは~

いっぷくさんも文通をしていましたか
よく名前だけでも覚えていましたね。

私はそのあと中学に入ってからも文通しましたが
その人の名前はまったく覚えていないのです。
かえって小学生のころの記憶のほうがいつまでも残って
しまって、それだけ楽しい思い出だったのかなと思っています。
by プー太の父 (2012-11-04 19:01) 

プー太の父

和さん こんばんは~

本当に懐かしく、いい思い出になっていますね
あのときが初めての文通でしたので返事がくると
ワクワクして手紙を読んだものですが、あれから50年過ぎて
あの男性はそんなこと忘れているでしょうね。

今はメールを送ると、あっという間に相手に着いて
またすぐに返事がきて、すごいスピードになりましたね。
味気ないですが便利な時代になりました。
by プー太の父 (2012-11-04 19:09) 

ダミアン88

いい思い出ですね(*^_^*)
少年時代の思い出は一生「いい思い出」ですよね。
by ダミアン88 (2012-11-05 21:38) 

プー太の父

ダミアン88さん こんにちは~

本当にいつまでも心に残るものですね。
子供のころ、京都やミカンの箱に書いてあった和歌山など
今にくらべたら、まるで外国のような遠いところでした。

あの頃は私の田舎はSLばかり走っていましたが
今は飛行機で、あっという間にどこでも行けるのですからね。
今も福知山なんて聞くと特別なものがあります。
by プー太の父 (2012-11-06 10:46) 

マザーグース

とても懐かしい。。。素敵な思い出ですね♪
タイプされた活字と違って。。。
『手書き文字』には、『クセや筆圧の強弱etc…』も有って。。。
内容もさることながら『お手紙』自体が、
まるで写真の様に目に写ったまま残っているのではないですか?
便利さも重宝しますが、時間や手間を掛けた証も。。。
大切に続けたり…使ったり…して行きたいですね♪('-'*)
by マザーグース (2012-11-06 23:16) 

プー太の父

マザーグースさん こんにちは~

最近は用事があってもメールや電話で連絡しているので
手紙なんて書くこともなくなりましたね。
せいぜい年賀ハガキを出すくらいですが
住所も宛名も印刷してしまうので、私みたいに字が下手な
人間には便利なんですけど少しさびしい気がします。

そのうちに封筒や便せんなども姿を消しそうですね。
わが家に来る郵便物もダイレクトメールがほとんどに
なってしまい、郵便箱を開ける楽しみもなくなりました。
by プー太の父 (2012-11-07 11:26)