バンドデビュー [黒い玉手箱]
1968年
トヨタに入社して1カ月か2カ月、私がまだ18歳のとき
独身寮の夕食が終る頃
どこからかギターやドラムの音が聞こえてくるようになりました。
私も高校時代に少しやったことがあったので
興味が湧いてきて或る日の夜、音の聞こえる方に行ってみたのですが
音は寮の集会場の中とわかったので、ついでに覗いてみることにしました。
集会場の中に入ると
ちょうどギターが一人足りないので
仲間に入ってくれないかと誘われてしまいます。
私もサイドギターくらいならいつでもOKということで
即仲間に入れてもらうことになりました。
リーダーでボーカルの先輩が22~23歳くらいで鳥取県出身
あとは私と同じ新入社員だったと思いますが、大阪、熊本、鹿児島
そして私が北海道と、全国から人が集まるトヨタらしいメンバーの顔ぶれです。
ときどきみんな集まって何回か練習したころ
いよいよデビューが決まりました。
会場は寮の食堂です。
寮の夕食時間も終わったころライブが始まります。
寮と言っても鉄筋4階建の大きな建物が何棟もある
マンモス団地のような寮なので、大勢の寮生が集まってくれました。
私はサイドギター担当だったのですが、1曲くらい私にも
リードギターをやらせてくださいと事前にお願いしていたのです。
そのとき私の弾いた曲はベンチャーズのクルーエルシー
演奏後、この日一番の大きな拍手を浴びたのでした。
(ここはちょっと記憶違いかもしれませんね~)
その後ユニフォームを作ることになりました。
上は忘れましたが
下はサイドに黄色のストライプが入ったピンクのズボン。
ちょっと紫がかったようなピンクでしたが、私はこんな派手で
趣味の悪いユニフォームなんか着たくないと思っていました。
そんな派手なピンクは
鳥取出身のリーダーの好みだったのでしょう。
しかしそれからは私を始め、他の新入社員メンバーも
夜勤だ遅番だと、本格的に交代勤務が始まって
練習にもなかなか全員集まることが出来なくなってしまいます。
やがてバンドは一度もユニフォームを
着ることもなく、自然に消滅してしまったのでした。