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同級生がやってきた [黒い玉手箱]

 

黒い玉手箱:愛知県在住時代の昔話(私が18歳から23歳のころ)

中学1年生が(本当は小学生のころからという記憶もあるのですが
煙草は吸う、クルマは運転する、おまけにケンカ早い

前回の昔話で、この同級生のN君が豊田市に遊びに来た話をしようと思ったら
野球の話になってしまってすっかり遅くなってしまいました。

中学の時は一緒に野球に汗を流し

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高校時代はバンドを組んで(ドラムN君、リードギターが私右の写真)

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そして高校を卒業
私は愛知県豊田市に就職、同級生は札幌の大学に行きました。

 


トヨタで働くようになった年か2年目のこと、彼が友達と二人で
札幌から豊田市の私のところに遊びにくることになりました。

あのころトヨタの寮では、親や兄弟が遊びに来る時は寮の空き部屋
を貸してくれていたのだと思いますが、私が寮の事務所に行って
事情を話すと、快く部屋を貸してもらえることになりました。

こうして友人たちと私の3人が、布団も3組貸してもらって
きれいに掃除もしてある、きれいな部屋に2泊させてもらったのです。

豊田市から3人で私のポンコツカローラに乗り、N君が運転して名神高速道路を
走ったのですが、時速130キロくらいになるとクルマがミシッミシッと
飛行機に乗ってると聞こえる、空中分解でもしそうな不気味な音がするのです。

しかしそれが限界だったようで、それ以上はスピードは出ませんでした。
行った先は関ヶ原の古戦場などでした。

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こうして寮の計らいで泊るところの心配もなく
学校を卒業してからの再会を楽しく過ごしたものです。

 


 その1年後か2年後

彼は大学を卒業して就職、千葉県に茂原市に住むことになりました。

ある日のこと、私が勤務中に電話だと呼び出されます。

電話の主はN君

すぐ近くまで来てるのでちょっとでもいいから会えないかな~
という電話でした。

当時は私はトヨタの本社工場から移動して、カローラなどを生産していた
上郷工場に勤務していましたが、N君は近くを走る東名高速道路の
上郷サービスエリアから電話をくれたのです。

もちろん私は上司の許可を得て上郷サービスエリアまで走りました。

サービスエリアにいる彼とフェンスを挟んで一般道路側から私と
奇妙な会い方でしたが、
故郷北海道の最北の村に住んでるハズの彼の
お母さんも一緒にいたので私も驚きました。

話を聞くと、岐阜のほうに有名な整骨院があるので
お母さんのために観光がてら岐阜まで行くということなのです。

ほんのわずかの時間でしたが嬉しい出来事でした。

 

それから数カ月(昭和48年3月)

 

広い北海道に比べたら愛知県と千葉県なんか近いものです。

私も東名高速道路、首都高速や京葉道路などを走って
千葉県まで遊びに行き、赤ちょうちんで一杯やったり
あちこち案内してもらったり楽しく遊んできたのです。

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さらに4ヶ月後(昭和48年7月)img002.jpg

そしていよいよ私はトヨタを辞めて

北海道に帰ることを決めましたが

北海道に帰ったら、千葉県に行く機会も

なくなると思ってまた千葉県まで走ります。

 

 

千葉県にはこの友人ばかりでなく、現在群馬県に住んでいる
叔母が船橋市に住んでいたので、このときは叔母の家に行くのが
目的だったのですが、叔母の家にお邪魔したり友人に会ったりして
最後の千葉を楽しんできたのです。

このときはトヨタを辞めて北海道に帰る1週間前でしたが
この年は愛知県に住んでいた5年間でも一番暑く感じた年でした。

やっと北海道に帰れると思って、緊張感がなくなって
しまったために余計いつもより暑く感じたのかもしれません。


それからさらに3年後

彼も札幌に転勤になり、札幌のススキノで飲みに行くことになりましたが
このとき二人で入ったスナックで驚くべきことになったのです。

以前に記事にしましたが、あの頃有名だった歌手のマイク真木さんに遭遇
マイク真木さんに、すっかりごちそうに
なってしまうという
忘れられない出来ごとがあったのでした。

何かと思い出の残った同級生の話でした。

 

 

 


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