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故郷へクルマで帰る 第四話 [黒い玉手箱]

愛知県から北海道へクルマで帰省した昔話

1972年8月10日(41年前)

念願の網走を見た後は摩周湖に向かいます
私も同乗の父も、網走はもちろん摩周湖も初めて

とにかく広い北海道
交通の便利も道路事情も悪かったあの頃は
道北に住んでいると、旭川や札幌などは行く機会が多いのですが
 
網走、釧路など道東は
道北に住んでいた私にとっては、まるで他県のような感覚でした。

初めて見る摩周湖を楽しみにしていたのですが
摩周湖が近づいてきたらだんだん霧が濃くなってきて、センターラインの
白線もすぐ目の前でないと、見えないくらいになってしまいました。

もう走るのも止まるのも
危険な状態になってしまったのですが、恐る恐るなんとかUターン。

昨年の夏もやはり霧がかかって摩周湖は見れず

8.JPG

4年前の還暦登山のときは9月だったのできれいに晴れました

7.JPG

いくら霧の摩周湖と言っても、あんなひどい霧とは予想外
あと少しのところまで行ったのですが、諦めることになってしまいました。

朝、故郷を出発して走行距離も300キロを超えた頃
日もだいぶ傾いてきたので、そろそろ宿泊するところも決めなくては

そしてこの日の宿泊は阿寒湖の温泉と決めて阿寒湖に向かいました。

しかし夏休み真っ最中
阿寒摩周国立公園の温泉街は部屋が空いてなくて困っていたら

このホテル、布団部屋で良かったら泊まって下さいと言うのです。

7.jpgどこのホテルも満室状態だろうと思うと
贅沢なんか言ってられません。

布団部屋でもなんでも泊まれるのは
有難かったので、喜んで宿泊決定。

記憶では6畳か8畳くらいの
小さな部屋で、普段は布団など
置いて物置代わりの部屋です。

父と二人で4,000円と
だいぶ安くしてくれたのですが
西日がカンカン照りつけて暑い部屋でした。

こんな部屋に泊まれたのも
今になってはいい思い出に
なってしまいましたが。

 

そして次の日、父が
東洋一と自慢の北見花園
フラワーパラダイスが見たいと言います。

こうして私が22歳のときに、今は当たり前のような
顔をして住んでいる北見の街を、初めて訪れることになりました。

このとき、父が花園を見たいと言わなければ
絶対に私も北見に住むことなどはなかったのですから
私にとっては後々、大変意義のある北見訪問になりました。


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