年始のご挨拶 [日記雑感 13年]
訪問いただきましてありがとうございました
今年もよろしくお願いいたします
ブログを初めてから2度目の正月が来ましたが
今年もときどき昔話を入れながら
少しでも楽しく温かいブログを書きたいと思います。
今年もみなさまの訪問をお待ちしています。
元日からとてもいい知らせがありました。
日本ブログ村では、いろいろなトーナメントをしていますけど
その中のブログやってますというトーナメントにお父さんが
黒い玉手箱シリーズの記事木曽路のバスツァーをエントリーして
連日トーナメント対戦(みなさんからの投票)をしていました。
1回戦から7連勝して大晦日
そして決勝戦でも勝ってしまいました
あの記事はお父さんが
3日間で10時間以上かけて書いた記事なので大喜び。
今年もボクとお父さんは元気に頑張りま~す
007 スカイフォール [映画]
北見市は、ますますシバレが強くなり
昨日が-20.5度、今朝は今シーズン最低の-24.5度
だんだん寒さに慣れてきて
昨日の朝も-20度を超えてるのにそんなに寒く感じなくなってきました。
寒さに慣れたのか
歳のせいで体が不感症になってきたのかわからないのですが・・・
昨日は久しぶりに映画館へ行ってきました。
お目当ては12月から上映されていた007。
もう上映されてから1カ月ほど経ったので、そろそろ観る人も
いないだろうと思っていたら40人程の人が観ていました。
ストーリーはだいたい思っていたような007らしいものでしたが
ボンド役の俳優さんは、私も好きなロシアのプーチン大統領みたいな
雰囲気でとてもよかったです。
ストーリーはともかく驚いたことが二つありました。
敵のアジトが見えたときは長崎の軍艦島
(写真でしか見たことはないですが)にそっくりだと思いました。
日本でロケなんて聞いてなかったのでまさかと思いましたが
映画が終って最後に、やっぱり軍艦島だとわかって驚きました。
もう一つは、敵がヘリコプターで上空に現れたときに
派手な音楽をヘリコプターからジャンジャン流して現れましたが
その音楽がアニマルズのカバーした曲
ブーンブ-ンという懐かしい曲だったのです。
私が中学生のころ、アニマルズの
朝日のあたる家や悲しき願いなどヒットしていましたが
そういえば007シリーズも50年
そしてこのブーンブーンも50年前のヒット曲。
きっと50年前に若かった、今の60代70代の人達を喜ばせようと
この古い曲を投入したのかと思います。
50年も続いてる007シリーズ
アクションはもちろん、ホロっとする場面もあり
プーチン似のボンドも良かったしさすが007期待通りの映画でした。
夕方4時40分、冷え込んできました。
明日の朝もやっぱり-24度になりそうな冷たさです。
忙しいお父さん [日記雑感 13年]
北見は暮から、ほとんど雪が降らないかわりに
毎日-20度以上の寒い日が続いています。
でも、いつも白い雪と青い空がとてもきれいで
雪山の向こうに、いつも散歩に行く緑のセンターが見えます。
お正月の休みが終ってからお父さんは、すごーく仕事が忙しくなって
1月いっぱいは土曜日や祝日も仕事になってしまいました。
お父さんは
「もう63歳なんだから、シニア割引で勘弁してよ~」と
文句をいいながらも元気で頑張っています。
今月いっぱいは忙しそうなので、記事更新は日曜日だけになりそうです。
お正月休みに、せっかく本屋さんで見つけて買ってきた
お父さんの好きな山のミステリーの本も、読む暇がなくなってしまいました。
ボクはいっぱい散歩をしてもらえないので、すごーく退屈です。
クルマも泣いています [日記雑感 13年]
ボクがお父さんに散歩をねだってる、甘え声みたいでしょう。
これはお父さんがクルマのエンジンをかけるときの音なんです。
連日マイナス20度前後の日が続いてるので
クルマもやっとエンジンがかかっている状態です。
今朝もお父さんが朝の7時に温度計を見たらマイナス24.5度でした。
こんな寒さが続いてるので、お父さんのクルマのバッテリーも
「もうイヤだよ~エンジンかけるチカラもなくなってきたよ~」と
半ベソをかいています。
お父さんは、残業や休日出勤など忙しい日が続いてるので
「黒い玉手箱の記事が書きたいのに・・・早くヒマになってくれ~」と
愚痴を言ってます。
お父さんが愛知県にいた頃の友達で、たった一人
遠い北見までお父さんを訪ねてきてくれた人がいたそうです。
そんな思い出話を書きたいと言ってますけど、いつになることやらです。
富山からやってきた後輩 [黒い玉手箱]
昔話(愛知県在住時代の40年ほど前)
私が21~22歳のころ
私よりも4歳年下で、中卒で働いていた後輩がいました。
無口な少年で、人とはあまり会話もしない彼でしたが
私にはなつくので、コージ(幸司)と呼んで可愛がっていました。
そのコージから
年末も近くなった或る日「俺ん家一緒に行こうよ」と誘われます。
せっかくの正月に、他人の私がお邪魔するのは気がひけるので
断りましたが、何度か誘われてついに行ってみることにしました。
その街は富山県城端町
ネットで調べてみると越中の小京都と呼ばれているらしく
合併により、現在は南砺市になっていました。
彼の実家は農家だったので、冬の農村の風景を
楽しませてもらいましたが、柿の木の高いところに取り残しの柿が
何個かぶら下がっていたのが珍しくて記憶に残っています。
やがて私も北海道に帰りたくなってしまい、23歳のときに
5年と3カ月暮らした愛知県を離れ、北海道に帰ることになります。
そして3年後、私が北見に住みついて結婚したころでした。
ジリリーン
後輩
「もしもしプー太の父さんしばらくでした、そっちに遊びに行っていい?」
電話は年賀状の返事もロクにもらったこともないコージからでした。
私
「おお元気だったか、いつでも来いよ
夏休みでも冬休みでも好きな時に来てくれ。」
後輩
「それじぁ明日行くから」
私
「なにぃ明日って・・・お前
いまどこにいるんだ?愛知県かそれとも城端か」
後輩
「愛知県の会社は辞めて城端に帰ったんだけど
北海道が見たくなってブラリと旅に出て今サッポロに着いたところ。
サッポロに着いたら北見まで行ってみたくなって・・・」
私
「そうかわかったすぐに来いよ
明日の朝札幌を出ると夕方前には北見に着くから」
次の日の夕方に無事にコージと北見駅で再会
37年前、再会と別れの場所になったJR北見駅
ちょうど仕事も連休になったところなので、摩周湖や阿寒湖など
あちこちドライブに連れて行って3泊ほどして
コージは国鉄の北見駅から、列車に乗って富山に帰って行きました。
無口で人との会話も苦手なコージが
国鉄の列車を乗り継いでよく北見まで来たものです。
そんなコージからはその後も何も連絡もなく
音信不通の状態ですが、それが彼らしいところ。
いつかまた突然電話をくれて
「プー太の父さんしばらくでした
ブラリと旅に出ていま北見に着いたんだけどぉ~」
なんて、白髪がいっぱい生えたコージが現れそうな気もするのです。