走れ東海道・最終回 [黒い玉手箱]
昔話 自転車旅行 第4話 1968年9月(昭和43年)
この思い出話 前回は目的地の伊豆大島まで行ったところまで書きましたが 今回は最後の様子を覚えてることだけを書いてみます。
(今日の写真は全部ネットから借りました)
愛知県を出てから3日目
伊豆大島から船で熱海に戻り
また同じルート(たぶん十国峠)を自転車で箱根に向かいました。
この日は船が出る時間も遅かったせいか
箱根に着いたらもう午後のいい時間になっていたようです。
2日続きのテント宿泊が飽きたのか、それとも時間に余裕が出来たのか
この日は早めに宿を探して、箱根を少し見物してのんびりすることに。
たしか国民宿舎のような安い旅館だったと思います。
友人と二人、大広間のようなところに寝かされた記憶がありますが
とにかく自転車での貧乏旅行では唯一のぜいたくで、明るいうちに
ゆったり温泉に浸かって、汗臭い体をきれいさっぱりしたことを思い出します。
4日目
この日はもうただ帰るだけ、と言っても愛知県のゴールまで 240キロ前後あるのでもう一泊の予定だったと思います。
温泉に入ってのんびりしたのと体も自転車に慣れてきたようで
この日は快調に国道1号線を走りますが、箱根を出てから夕食のために
ドライブインに入るまでの間のことは何も覚えていません。
(なぜドライブインのことだけを覚えているかは後で書きます)
そのときの思い出がないものかと調べたら
1枚の入場券(静岡市 登呂遺跡)を見つけたので
もしかしたらその時の?と思ったのですが、この自転車旅行の
2年後(昭和45年)にクルマで行ったときのもののようです。
登呂遺跡なんてだれと行ったのかも思いださないのですが
このときの入場料が20円となっています。
下の入場券は私の保管してあった42年前のものです
ここで(静岡県のどこかの街)嫌なことをひとつ思いだしました。
友人が信号待ちで横に並んで停車中のタクシーの横にぶつけてしまい
少しのキズでしたが後でいくらか払ったのです。
その後は静岡県内を快調に走りましたが
ゴールまではまだまだ240キロほどの距離があります。
途中で4泊目のテントを張るのが面倒になったのか
早く帰りたくなったのか覚えてないのですが
このまま夜通し走って、翌日の朝までにゴールしようとしたようです。
旅行中の食事はどうしていたのか
覚えてないのですが
このドライブインで食事したことだけは忘れません。
このドライブインでラッキーなことが待っていたのです
このとき私はもちろんですが、タフな友人もくたくたに疲れていました。
夕食時間のドライブインの中は大型トラックのドライバーなどで
混んでいたので、他の人達がいる同じテーブルに着きます。
そのとき一緒のテーブルの運転手さんと
いろいろ話をしながらご飯を食べてたのですが、私たちの疲れた様子が
可哀想だと思ったのか、1号線を大阪まで走るしトラックは空だからと
途中まで私達と自転車を乗せてもらうことになったのです。
大型トラックの助手席から見ながら
旅の最後は親切な運転手さんの
おかげで大変楽なドライブに
なってしまったのです。
そして岡崎市でこの運転手さんとお別れして思い出深い国道1号線を出ます。
国道1号線を出たらすごく寂しくなった感じがしました。
それだけ日本の大動脈国道1号線は賑やかだったのです。
このときのことはぼんやり覚えていて夜の10時か11時ころで
なかったかと思いますが、岡崎市内を走りながら「今日中に帰れる」という
安堵の気持ちと、まだ住みついて5カ月なのに4日も離れるとその街が
もう恋しくなって、ああやっと帰れるんだという気持ちで走っていました。
こうして親切なトラックの運転手さんの
応援(60キロほどの距離)もあって、この日箱根から240キロ程の
距離を走り抜いて、高校を卒業してから5年と3カ月お世話になった街
愛知県豊田市に到着
たった一度だけの貴重な自転車の旅が終わりました。
ひとりで散歩 [日記雑感 12年]
池田ワイン城 [ドライブ風景]
ふるさと銀河線(第三セクター)
が走っていましたが
その途中にある足寄(あしょろ)駅跡。
足寄町から1時間ほど走ると池田町です。
「十勝ワイン」でお馴染の町営醸造所「池田ワイン城」
ワインや美味しそうな
十勝の名物が置いてありますが
ソフトクリームも最高でした。
2年前に行ったときには、高速道路が無料実験中だったので
足寄から池田まで高速道路を走りましたが
今は有料になったので高速料金をケチッて国道を走りました。
高速道路は田舎の高速道路なので、片側一車線で最高速度は80キロ⇒有料
国道はクルマも信号も少ないので、ほとんど80キロ~90キロで走行⇒無料
お金を払うのがバカらしくなります
もちろんスピード違反には要注意ですが。
免許証の思い出 第1話 [黒い玉手箱]
タイトル:プー太の父の怒り
前回記事にしました自転車旅行のすぐあと1968年(昭和43年秋)
自転車旅行のこととは反対に覚えてることが多いので
今回はクルマの免許を取った時の思い出話を書いてみます。
自転車旅行のすぐあと、たしか9月だったと思います。
友人の中にオートバイ好きなのがいて
時々うしろに乗せてもらってましたが、そのうちに自分も
オートバイを運転してみたくなって、自動車学校に行くことになりました。
通い始めて1~2日にそのオートバイ好きが
「なにも自動二輪の免許なんて取らなくても、そのうちにみんな
クルマを持つようになったらお前もクルマが欲しくなるんだから
そんなヒマがあるならクルマの免許を取ったほうがいいだろう」
オートバイ好きの予想外の言葉に、素直?な私はすぐに方針転換
自動二輪はすぐに諦めてクルマの免許を取ることにしました。
(もちろん払ったお金何万かは戻ってこなかったと思います)
こうしてクルマの免許を取るために
残暑きびしい中ま、た同じ自動車学校に通います。
さていよいよ教習が始まると
私の担当の先生はいつも文句ばかり言ってました。
まあ自動車学校の先生は
こんなもんだろうと思っていましたが、だんだんひどくなってきます。
いつも文句ばかり言われていい加減腹が立ってるところに
「何をトロトロしてるんだと」というようなことを言われて
今までハイハイと我慢してきた温厚な?私もついに限界怒り爆発
「慎重に走ってるのにトロトロとはなんだ~」とばかり
グイッと右足に力をいっぱい入れてアクセルを踏んだのです。
自動車学校の中の練習コースですが急にスピードが出ました。 助手席で威張ってる先生がビックリして急ブレーキを踏んで
クルマを止めてから私に「何をするんだ~」と怒鳴りました。
私は心の中で
「普通に走ってればトロトロするなと文句タラタラ
それじゃあ先生のご希望通りキビキビ走ってやろうかと思って
ちょっとスピードを出せばビックリするし、どうすりゃいいんだ」
と、ひらき直っています。
この話の続きはまた次回にしますが、そんなことして
「プー太の父さん、仕返しされて免許なんて取れないんでないの」
なんて思うでしょうね。
結末は次回のお楽しみに!また続きもぜひ読んでください
お父さんは寝不足です [日記雑感 12年]
寒いので北見から脱出 [日記雑感 12年]
北見より南国のみなさ~ん
そちらは今日も暑いのでしょうね~
先日は北見のさわやかな様子を書きましたが あの記事は訂正したいくらいの寒さがやってきました。
夕べから冷たい空気が入ってきて今日は最高気温が14.7度
夕方、プー太との散歩は、長袖シャツを着てさらにジャンバーを着て
真夏だというのにこの寒さ 何年かに一度くらいの夏の寒さです、私は寒いのが大嫌い
もう我慢が出来きないので北見から脱出 することにしました。
旅行カバンを出してこれから旅支度です。
どこに行こうかな~
もう暑い所ならどこでも
いいかと思うけど
ハワイまで行くお金もないし・・・
今日はもう飛行機の最終便も
飛んだので明日の朝まで
ゆっくり考えることにしました。
プー太が心配なのですぐに帰りますが どこに行ってきたかは帰ったらブログに書く予定です。
日曜日にブログの更新がなかったら どこかで暑さのために倒れたと思ってて下さい。
「緑のセンター」でライトアップがありますよ
電気料が高いので21日(土曜日)一回限りみたいです。
ここのライトアップは幻想的な雰囲気
すごくきれいなので楽しみにしてたのですが・・・
それまでに帰ってきたらもちろん見に行きますけど
近所の方はぜひ見に行ってみてください 素晴らしいですよ。
それでは明日、暑いところに行ってきま~す
母の三回忌 第1話 [川口旅行]
タイトル:この電車どこに行くの~
一泊だけの短い旅を終えて暑いところから帰ってきました。
なんて書く予定でしたが
旅行先は北見より少し暖かい程度のとんでもない涼しい夏。
行ったところは昨年の秋にブログで紹介しました埼玉県川口市
簡単に一泊旅行の様子を書きます。
東京で初めて電車を乗り間違えてしまいました。
モノレールで浜松町まで行きます。
そこから京浜東北線大宮行きに
乗り換えてひと安心。
東京、秋葉原、上野と
いつも通る駅名が車内放送されて
だんだん川口も近くなってきます。
そのうち池袋、新宿、高田馬場など
いつも聞きなれない駅名が放送されました。
まさかと思って扉の上の掲示板を
よく見ると京浜東北線でなくて山手線だったのです
そのまま乗ってればまた上野に着くんだと思いましたが
少し心配になったので、私の隣に座ってる若い女性に聞いたら
「まだ逆回りで戻った方が早いですよ」と言われたので
そそくさと次の駅で降りて逆回りの電車に乗り換えました
また上野に戻ればいいんだろうと思って乗っていたら
そのうち次は田端駅とアナウンスがありました。
田端ならいつも川口に行くときに聞く駅名なので
上野まで戻らなくてもいいだろうと田端で降ります。
そして今度はよ~く確かめて電車に乗り、無事川口市に着きました。
乗り間違いの原因は、浜松町駅でホームの右側も左側も上野や東京に
行く表示があったので、あまり深く考えないで乗ってしまったことです。
ちゃんと京浜東北線と確認しないで山手線に乗ってしまったのです。
赤羽の次が川口市、今日は遠かった
ホテルにチエクックインして再び川口駅に戻ります。
上の写真の左側の高いビルの14階
いつも兄に連れてってもらう、中華料理レストラン「銀座アスター」で
川口市に住む兄、群馬県太田市から来た叔母、北海道千歳市から来た
叔母夫婦が早く着いて待っています。(全員北海道出身)
この旅の目的を言うのが遅くなってしまいましたが おととしの8月に他界した母の三回忌だったのです。
ここで美味しいビールやワインを飲みながら、北海道の話題や
登山の話題(兄も千歳の叔母夫婦もすごい山好きのベテラン)など
楽しい話が続いて盛り上がりました。
長くなりそうなので、また火曜日頃この続きを書く予定です。
それではまた次回も訪問お待ちしています。
母の三回忌 第2話 [川口旅行]
タイトル: 10年間無免許運転?
みんなと別れてからは、ホテルに入って歯を磨く元気もなく
すぐに眠ってしまいました(たぶん9時半頃)。
この日は夜中の1時半頃に目が覚めてからは
ほとんど寝てないところに、大都会に出てきてだいぶ疲れたようです。
翌日
今日も早朝2時ころに目が覚めてあまり眠れなかったのですが
前の日は早寝したおかげで体調もだいぶ回復。
風呂に入ったりテレビを見たりしてヒマをつぶし
早朝5時頃散歩に出かけました。
早朝の川口駅前
母の墓参りをしてから法要を行う栄町斎場に行きます。
一人(群馬の叔母の長男の嫁さん)駆けつけてくれました。
「伯父さん
私は6年前に群馬を訪れてこの絵をみてびっくり!
こんな趣味があったなんて知りませんでした。
今回は体調が良くなく
川口には来れなかったので、残念ながら会えませんでした。
私と千歳の叔母夫婦は、同じ羽田空港行きのモノレールに乗り
羽田空港第一ビル駅で別れて終点の第二ビル駅に着きした。
羽田でエァドゥの飛行機を見ると、いつもホッとします。
それからクルマで約40分、無事に北見の我が家に着いたら
女房が私の顔を見るなり
「あんたの留守中に大変なことになってしまって」
これで川口の話は終わりましたが
次回は留守中の大変だったという話しを記事にする予定です。
自転車が身代りに [日記雑感 12年]
先日、川口市から帰ったらすぐに
女房が興奮したようにしゃべりだしました。
電動自転車(だいぶ古い)に乗って買い物に行こうと走ってたら
脇道からクルマが一時停止もしないで飛び出てきて
女房の自転車に直撃したというのです。
体は軽い打撲の跡が何ヶ所かと少し痛む程度でしたが
クルマの下敷きになってしまった自転車はメチャメチャ。
夜になって事故を起こした若い男性が
父親と保険屋さんを連れて、我が家にきて話しあいの結果
すぐに新品の電動自転車を買ってくれることになったようです。
事故に遭ったのは私が川口に出発した日で
次の日(私が北見に帰ったこの日)新しい自転車が届きました。
新らしい電動自転車
右側に倒れていたら、自転車と一緒にクルマの下敷きになっていたようです。
(あとで事故に遭った古い自転車の買い物かごのカバーを見たら あちこち破れていて、私の思った以上にひどい状況だったようです)
一週間経った今は痛みもなくなり
残ったのは何ヶ所かのアザだけで病院にも行かなくてよそうです。
実は、事故で壊れた古い自転車は ろそろ買い替えなくちゃと話してたのです。
3週間程前に古い自転車のパンクの修理に来てくれた 馴染の自転車屋さんに、その自転車まだ大丈夫か聞いたのですが
自転車屋さんは「バッテリーだけ寿命が過ぎてるけど
自転車本体は大丈夫だからまだまだ乗れますよ」と言ってたのです。
新しい自転車も欲しいけど、それならバッテリーだけ買って
まだ我慢するかと言ってたところに、こんな事故のおかげで
新しい電動自転車になってしまいました。
女房は
「自転車屋さんは、思わぬことで一台売れて喜んでたわ」と言ってましたが
当の本人も、自転車が新しくなったので
怖い思いをしたのも忘れたように嬉しそうでした。
事故の相手と保険屋さんが迅速に対応してくれたり
パンク修理のとき、無理に自転車を売ろうとしなかった正直な
自転車屋さんに、売上も一台あったのでヤレヤレ一件落着。
すぐにプー太と「緑のセンター」に行って
年に一度か二度の楽しみにしていた
免許証の思い出 第2話 [黒い玉手箱]
途中で川口の話などが入ったので
遅れてしまいましたが,今日は前回の続きを書きます。
文句ばかり言ってる自動車学校の先生に私はついに怒りが爆発 右足に力を込めてアクセルをぐぃっと踏んだら急にスピードが出ました。
先生はびっくりして急ブレーキを踏んで
クルマを止めて「何をするんだー」と怒鳴ったのです。
この話はこれからが面白くなりそうなのですが、しかし意外にもその先生
それからはまったく文句も言わないで静かになってしまいました。
文句さえ言われなければこっちも運転しやすいので
その後は運転も順調になって、そして路上教習も無事に終えて最後の日。
私は「お世話になりました」と型通りの挨拶を
先生は「試験は大丈夫だと思うけど一回くらい補習受けておけよ」
そんなもの受けなくてもと思いましたが,先生との交際費だと思って
一度だけ補習を受けてから名古屋で試験を受けました。
こうして名古屋で取った愛知県公安委員会と書いてある
思い出の免許証を、北海道に帰ってからも大事にしてたのですが
ある日警察の検問があったときに
その警官が「免許証の更新日がとっくに過ぎてますよー」
そんなことで再交付してもらった免許証から、愛知県の文字が
消えて北見になってしまいましたが、あのときは本当にがっかりしました。
顔写真の下の○○○のところに
愛知知県と書いてあったのですが
再交付のとき北見になりました。
いま思いだしてみると,なんで急に先生が静かになったのか
自分の指導が間違ってたと気がついて反省した
またやられたら困るから
どう考えてもこのどちらかしかないのです。
ついでに余談になります
仕事には必要はなかったのですが,北見に来てから大型免許を取ったのです。
その時の先生はすごくおおらかな人で路上教習のとき
ちょっと横向いて先生の顔を見たら,気持ち良さそうに居眠りをしていました。